2023年のジョン・フォード没後50年に合わせ、ジョン・フォード関連の話題が多くなってきています。『ジョン・フォードを知らないなんて』(2010年、風人社)の著者、熱海鋼一さんにその魅力を語っていただきました。

今回は、その第19回目です。
※赤字「」は映画作品名

熱海鋼一 ジョン・ウェイン

ジョン・フォード復活19 フォードとアカデミー賞<前編>

ジョン・フォード(1894~1973)はアカデミー最優秀監督賞を4回受賞している。「男の敵」(1935)、「怒りの葡萄」(1940)、「我が谷は緑なりき」(1941)、「静かなる男」(1952)の4本だ。この記録は、今でも破られていない。アイルランドを舞台にした2本、社会問題を扱った2本。フォードは西部劇の神様と言われたが、西部劇は入っていない。

ジョン・フォード アカデミー賞4本受賞作とオスカー像、「ベンハー」「或る夜の出来事」

アカデミー賞は、通称オスカー。アカデミー会員が各賞のノミネート作を投票で最高作を決め、オスカー像を授与する。しばし、監督賞を通してハリウッド映画を回顧してみたい。

監督賞を3度受賞したのは2人。

フランク・キャプラ(1897〜1991:「或る夜の出来事」(1934)、「オペラハット」(1936)、「我が家の楽園」(1938))

ウィリアム・ワイラー(1902〜1981:「ミニヴァー夫人」(1942)、「我等の生涯の最良の年」(1946)、「ベン・ハー」(1959))

2回受賞者は18名と多く、デヴィッド・リーン(1908〜1991:「戦場にかける橋」(1957)、「アラビアのロレンス」(1962))、ロバート・ワイズ(1914〜2005:「ウエスト・サイド物語」(1961)、「サウンド・オブ・ミュージック」(1965))などは、今でもよくリバイバル公開されているから、作品を知っている人は多いでしょう。

2回受賞者をここ50年に限ると、7名いる。

ミロス・フォーマン(1932~2018:「カッコウの巣の上で」(1975)、「アマデウス」(1984))

オリバー・ストーン(1946~:「プラトーン」(1986)、「7月4日に生まれて」(1989))

スティーブン・スピルバーグ(1946~:「シンドラーのリスト」(1993)、「プライベイト・ライアイン」(1998))

クリント・イーストウッド(1930~:「許されざる者」(1992)、「ミリオンダラー・ベイビー」(2004))

「アラビアのロレンス」「サウンドオブミュージック」「プラトーン」「プライベート・ライアン」「「アマデウス」「許されざる者」「ブロックバック」「レヴェナント」など

アン・リー(1954~:「ブロックバック・マウンテン」(2005)、「ライフ・オブ・パイ」(2012))

アレハンドル・ゴンザレス・イニュルトウ(1963~:「バードマンあるいは・・」(2014)、「レヴェナント・蘇りし者」(2015))

アルファソ・キュアロン(1961~:「ゼロ・グラビティ」(2013)、「ROMA」(2018))

と、名だたる名作が並んでいる。

監督賞2回ならフランシス・フォード・コッポラ(1939~)がいても良いだろうと思うが、「ゴッドファーザーⅡ」(1974)は受賞、「地獄の黙示録」(1979)はノミネートされたが撮影と音響の授与に留まった。クリストファー・ノーラン(1970~)は「オッペンハイマー」(2023)で受賞、「インターステラー」(2014)は視覚効果賞だけだった。アクションものやSFは単なる娯楽で、作品価値が劣るという通念が今でもあるんだな、などと言い出したら切りが無い。

フォードが4回のアカデミー監督賞を獲っているから、他の監督より作家性が優れているとは言えないところが、賞というものだと思う。作品賞を得たから、その映画がその年の最も優れた映画で映画史に残るとは言えない。上記の名作群が、50年後どれだけ記憶され、上映されているだろう。

アカデミー賞に限らず、カンヌ、ベネチア、ベルリンなど「映画祭」と名の付くものは多彩にある。それらの賞はクリエイティビティのステータスとなっている一方で、その時代の風潮に加え、映画界、興業界、審査員の志向などを反映してしまうところがある。

「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」「ディパーテッド」「タクシードライバー」「インファーナル・アフェア」「エブリシング・エブリウエア・オール・アット・ワンス」「パラサイト 半地下の家族」「ノマドランド」

最近のアカデミー賞でいえば、2023年の中国系移民とSFを取り混ぜた「エブリシング・エブリウエア・オール・アット・ワンス」(ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナー)は、私には退屈で面白さを理解出来なかったが、ここ数年は、アメリカの流浪民を描く「ノマドランド」(2021、クロエ・ジャオ 中国出身女性監督)、貧富間の衝撃を描いた韓国の「パラサイト 半地下の家族」(2020、ボン・ジュノ)など少数派に目を向け、アジア系が関係する映画が作品賞・監督賞を得ている。

今もって、アカデミー賞における白人中心の人種差別は指摘されているが、ハリウッドがマイノリティを平等に扱うという意志表示、アジアへ興業を拡大する意図が、透けて見える気がした。ちなみに、黒人がハリウッド映画で活躍するのは、超名優もいるが、黒人観客が大きな収入源になるからだ。

一方で、「博士の異常な愛情」(1964)、「2001年宇宙の旅」(1968)、「時計じかけのオレンジ」(1971)、「バリー・リンドン」(1975)、「シャイニング」(1980)等で映画を変革した、巨匠スタンリー・キューブリック(1928~1999)の多くの作品がノミネートされたが、アカデミー作品賞も監督賞も受賞はしていない。ここに挙げた5本は“全米映画撮影監督協会の20世紀最高の100本”に選ばれた作品。映画監督としては最高の本数だ。毎年行われるアカデミー賞と比べ、撮影監督協会100周年にちなんで会員が過去を見つめて選ぶ立ち位置の違いが、ここに出ている。ちなみにフォード作品で言えば、「怒りの葡萄」(1940)、「わが谷は緑なりき」(1941)、「捜索者」(1956)の3本が選ばれている。

マーティン・スコセッシ(1942~)は「ディパーテッド」(2006)で作品賞と監督賞を得ている。香港映画「インファナル・アフェア3部作」(2002・アンドリュー・ラウ, アラン・マック)のリメイクだが、元の作品より奥行きに欠けると思う。彼には、それ以前にカンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞の「タクシードライバー」(1976)やベネチア国際映画祭銀獅子受賞の「グッドフェローズ」(1990)などの傑作がある。アカデミー会員が、これ以上授与が遅れてはまずいと、その年にこの“無冠の名監督”を選んだと噂されたのは、あながち嘘ではないと思う。

賞はこのように、その作品や監督が時代とのタイミングと合う・合わないの運に左右されることもある。ジョン・フォードの監督賞4回という記録は、絶妙なタイミングが重なったのかもしれない。

ここで時計を90年ほど前に戻そう。1935年の映画を対象とした第8回アカデミー賞。

第8回アカデミー賞「男の敵」。ジョン・フォード、マクラグレン、霧、「ハリケーン」

御用監督と自称して、どんなジャンルでもそれなりの映画を作る職人として腕を磨いてきたジョン・フォードが、「男の敵(原題:The Informer 密告者)」でアカデミー監督賞に選ばれた。無声映画時代から培ってきた、フォードに潜む芸術心に火が付いたと言える。

物語はアイルランド独立運動のさなか。フォードはアイルランド移民二世、アイルランドへのこだわりは強く、生涯を通して貫いた。巨漢の大酒飲みの男、情に弱く恋人の娼婦のためにアメリカ行きを夢見て、革命軍を裏切ってしまう悲劇だ。製作費が少ないので撮影セット作りを節約するため、画面の背景の細部が明確に見えにくくなる、霧に覆われた夜のダブリンを設定。それを生かした情緒が、革命に揺れるアイルランドと密告者の心情にあいまった。

当時、ハリウッド映画は娯楽、ヨーロッパ映画は芸術と見なされていた。まさにヨーロッパ映画に近い香りを漂わせた表現が、驚きをもって評価されたのではないかと思う。フォードは無声映画時代に「4人の息子」(28)の撮影で、ドイツにロケしたとき、巨匠ムルナウらに会い、ヨーロッパの映画術を間近に見て、身体に浸みるものがあったのだろう。画面に独特な影を投影させ、奥行きを創るのはまさにその影響だと思う。

「果てなき航路」「周遊する蒸気船」「静かなる男」「捜索者」

「男の敵」はさらに3つのアカデミー賞を得ている。

裏切りへの恐怖で酒を浴び無節操に堕ちる巨漢を演じた、ヴィクター・マクラグレーンは主演男優賞を獲得。その後も「黄色いリボン」(1949)、「リオグランデの砦」(1950)、「静かなる男」(1952)で名脇役として独特の味を出す。

逃げる密告者と追い詰める革命軍のサスペンスを盛り上げた、脚本のダドリー・ニコラスも受賞した。ニコラスはフォードの盟友で、「周遊する蒸気船」(1935)、「ハリケーン」(1937)、「駅馬車」(1939)、「果てなき航路」(1940)、「逃亡者」(1947)など13本組んでいる。

フォードの「月の出の脱走 第3話・1921」(1957)の主題歌の原曲、民謡“The Wearing of the Green”、アイルランド独立を願う18世紀末の歌謡の旋律を巧みに織り込み、音楽賞を獲得したマックス・スタイナーは、後に「捜索者」(1956)でフォードと組むことになる。アメリカ映画音楽のトップスリーに必ず入る「風と共に去りぬ」(1939)や「カサブランカ」(1942)でもノミネートされた。

ちなみに、この年の作品賞は「戦艦バウンティ号の反乱」(フランク・ロイド 1886~1960)である。

そして迎えるジョン・フォードの黄金期と言われる3年間は、賞が集中することになる。

次号へつづく

熱海鋼一(あつみ・こういち)

1939年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。映画・テレビのドキュメンタリー編集・フリー。 「The Art of Killing 永遠なる武道」(マイアミ国際映画祭最優秀編集賞)、「矢沢永吉RUN & RUN」「E. YAZAWA ROCK」、「奈緒ちゃん」(文化庁優秀映画賞・毎日映画コンクール賞)、「浩は碧い空を見た」(国際赤十字賞)また「開高健モンゴル・巨大魚シリーズ」(郵政大臣賞、ギャラクシー賞)、「くじらびと」(日本映画批評家大賞)、ネイチャリング、ノンフィクション、BS・HD特集など、民放各局とNHKで数多くの受賞作品を手がける。

X(旧Twitter)(熱海 鋼一) @QxOVOr1ASOynX8n

熱海鋼一著『ジョン・フォードを知らないなんて シネマとアメリカと20世紀』(2010年、風人社、3000円+税)

もくじ
https://www.fujinsha.co.jp/hontoni/wp-content/uploads/2017/07/fordmokuji.pdf

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