2023年のジョン・フォード没後50年に合わせ、ジョン・フォード関連の話題が多くなってきています。『ジョン・フォードを知らないなんて』(2010年、風人社)の著者、熱海鋼一さんにその魅力を語っていただきました。

今回は、その第17回目です。
※赤字「」は映画作品名

熱海鋼一 ジョン・ウェイン

ジョン・フォード復活18 初めてのジョン・フォード

ホントの話、ジョン・フォードの映画をどれだけの人が知り、関心があるのだろうか? 遺作「荒野の女たち」が60年前、全盛期の「駅馬車」「怒りの葡萄」が85年余前、作年(2024年)はフォード生誕130年だった。
私といえば「駅馬車」が出来た年に生まれた、フォード・ファンの一人だ。

ジョン・フォード復活1 フォードの本

2022年にフォード・ファン待望の大作『ジョン・フォード論』が世に出た。それを記念して、“蓮實重彦セレクション 二十一世紀のジョン・フォード”として、無声映画を含め53本余が渋谷シネマヴァーレで上映された。観客は、若者はほぼ同じ人たちだと思うが、数人いて、あとは高齢な方が多かった。

私が『ジョン・フォードを知らないなんて』を書いて15年経つが、当時もフォードを知る若者が周囲にほとんどいないので驚いて、本のタイトルにした。今すぐ見られる作品に絞ったこの連載、 “ジョン・フォード復活”でも、フォード賛歌で褒め殺しに近い! かもしれないが、私とフォードとの出会いを探ってゆくと、そう簡単に一目惚れしたわけではなかったようだ。

私の記憶に残る初めてのジョン・フォードは、戦後6年、まだ日本がアメリカの占領下にある時で、小学5年生のことだ。父に連れられて(その時に撮られた街頭写真が残っていた。通行人を尋ねては写真を撮る商売があった)、新宿の洋画特選上映館のヒカリ座だったと思うが、「荒野の決闘」を見たときだ。
退屈だった。西部劇ならドンパチやってくれないと・・・。静謐なフロンティアに生きる人間模様の描写にはついてゆけなかったが、映画好きだった父は感動していたのだろう。“良かったろう”と言われ、うなずきはしたけど、西部劇としては肩透かしをくった感じだった。「荒野の決闘」(1946)がアリ・カウリスマキの「過去のない男」(2003)の佇まいを思わせる作品に見えるようになるのは、ずっと後のことだ。

ジョン・フォード復活2 荒野の決闘 

フォード作品を作られた同時期に見始めたのは、中学3年になる直前の休みに、「静かなる男」(1953日本封切り)を日比谷にある有楽座のロードショウに、観に行ったころだろう。親が、ジョン・フォードの映画なら大丈夫と、見にゆくことを許してくれていた。「静かなる男」は、フォードの故郷アイルランドを舞台に、のびのびとした郷愁感に溢れるラブロマンスだ(ジョン・フォード復活2参照)。

フォード作品には、これ見よがしの激しい情念の疼きや、卑しさをあらわにする表現がほとんどない。同世代のハワード・ホークスの「暗黒街の顔役」(1932)のような残酷なクールさは、フォードにはない。ラオール・ウォルシュの「白熱」(1949)の、ギャグニー演ずるマザコンギャングの狂気は、フォードには描けない。キング・ヴィダーの「白昼の決闘」(1946)のような異常なセックスは描かない。
実は、フォードは暗示描写が優れていて、シンプルな映像の深さなどに、私は徐々に気づいてゆくのだが、高校時代には単純にアットホームで暖かな描写と切れのいいアクションなどに惹かれて、いわゆるフォード・ファンになっていた。

当時、海外の映画は封切りされて当たれば場末にある三番館や名画劇場などまで落ちて上映されるが、その後はアメリカなど版権元に戻り、リバイバルでもない限り、永遠に見れない状況だった。しかし、映画は見れなくても、私のフォードへの一方的な片思いが始まった。

ジョン・フォード復活3 怒りの葡萄 

フォードの代名詞のようになっている「駅馬車」(1939)は、何回目かのリバイバルで、当時は場末だった自由が丘の小さな劇場で、高校時代にようやく出会えた。作られてから16年後のこと、すでに映画雑誌で写真や解説をさんざん目にしていたので、そのシーンの確認みたいな気になり、充分楽しんだとは言えなかった。やっと出会えたのに、初見の新鮮さに欠けていた。追撃シーンを素直に味わえたのは、その後数回見たあとだった。(ジョン・フォード復活417参照)

フォードは戦後、ハリウッドを代表する右翼、と日本の評論では言われていた。戦争中に進んで海軍に入り、OSS(CIAの元)で活躍し、戦後に騎兵隊三部作を立て続けに作ったからだろうか。(ジョン・フォード復活1115参照)
しかし、ハリウッドで最も左翼的映画と言われた「怒りの葡萄」(1940)は、アメリカ占領下の検閲でアメリカの恥部を描いた映画として、日本での上映は許されず、見ることができたのは作られてから22年後の1963年だった。
「怒りの葡萄」を勇んで見に行ったが、その頃には左翼映画も多くあったせいか、社会派映画というより、苦難が続く家族を支える母の逞しさが印象深く主役に見え、「母もの」映画と感じた。フォードは、アイルランド移民二世。ボクダノヴィッチのインタビューに、アメリカの恐慌―1929年アメリカから始まり世界を巻きこみ30年代後半まで続く恐慌―で土地を追われゆく農民家族を、アイルランドで飢餓に苦しみアメリカへ移民した家族の苦境にダブらせ、思いを馳せたという。

何度か見てゆくうちに、本来の主人公である受刑者の帰還に始まる鋭い映像に魅せられ、弱者を搾取する権力への怒りを、緊張感を張り詰めて、見据えていることが伝わってきた。フォードの傑作の1本だと思う。(ジョン・フォード復活3参照)

私が最も好きな「捜索者・The Searchers」(1956)を観たのは高校2年生の時だったが、従来のフォードを遥かに超えた厳しい内容で、戸惑いを覚えた。観客も期待したようには入らなかったせいか、日本上映はなくなり、見られない時が長く続いた。その間に「捜索者」は僕の内部で醸造され、地平のかなたに浮かぶモニュメントヴァレイの愛おしい、くれない色に染まった幻想となって膨らんでいった。

ジョン・フォード復活4 捜索者

20年後、ニューヨークに行ったとき、仕事帰りの車窓からビデオ屋の店頭に「The Searchers」のパッケージを発見。一瞬に通り過ぎ、豆粒のように小さく見えたはずなのに、そのパッケージは、僕の頭の中で、お店いっぱいに広がるように大きくなった。ホテルに着くとすぐ、初めての道だったが、その店に走った。そのビデオを抱きしめるように買った。そして観まくった。(ジョン・フォード復活89参照)
残念なことがある。「捜索者」のブルーレイはアメリカでは真っ先に発売され、いまやさらに画面の解像度が高い、4K UHDブルーレイまで出ているが、両方とも日本語字幕版はない。日本では相変わらず、ジョン・フォードは暖かい目線のユーモアあるアクション作家と思われている。「捜索者」のように時を超え、アメリカの実相を厳しく描いたフォードの先進性は、毛嫌いされているようだ。発売を心待ちにしているのだが・・・。

映画は今なら、ネットフリックスやAmazonプライムビデオ、DVD、ユーチューブなどで、古典も含め多くが見られるようになり、映画は地平のかなたにあるものではなく、地続きで存在するようになった。いつでも見られることが幸せかどうか僕にはわからないが、それは現実なのだから、多分映画という夢がさま変わりしているのだと思う。本のように手元にあるのだから。

熱海鋼一記

熱海鋼一(あつみ・こういち)

1939年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。映画・テレビのドキュメンタリー編集・フリー。 「The Art of Killing 永遠なる武道」(マイアミ国際映画祭最優秀編集賞)、「矢沢永吉RUN & RUN」「E. YAZAWA ROCK」、「奈緒ちゃん」(文化庁優秀映画賞・毎日映画コンクール賞)、「浩は碧い空を見た」(国際赤十字賞)また「開高健モンゴル・巨大魚シリーズ」(郵政大臣賞、ギャラクシー賞)、「くじらびと」(日本映画批評家大賞)、ネイチャリング、ノンフィクション、BS・HD特集など、民放各局とNHKで数多くの受賞作品を手がける。

X(旧Twitter)(熱海 鋼一) @QxOVOr1ASOynX8n

熱海鋼一著『ジョン・フォードを知らないなんて シネマとアメリカと20世紀』(2010年、風人社、3000円+税)

もくじ
https://www.fujinsha.co.jp/hontoni/wp-content/uploads/2017/07/fordmokuji.pdf

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