近づく大山を、ずっと見据えて

みなさん、こんにちは。
はるか南の沖縄では既に梅雨明けしていますが、日本列島の殆どは今が梅雨本番。
しばし鬱陶しい日々が続きますが、熱中症にも気をつけて元気にいきましょう。

さて、今回は海老名市からいよいよ厚木市へと入り、そこかしこに古い庚申塔や道祖神も多い複雑な小径が続きます。
「海老名駅」を出発して「本厚木駅」まで行きましょう。
特に今回は地図のメインスポットではない寄り道箇所が多いのでルートは色分けをしておきます。

*因みに、各スケッチはクリックすると拡大で見られますよ。

*ウォークマップ大山街道/海老名駅ー跨線橋ー庚申塔二股の交差点ー大山道標ー河原口ー河原口宿ー海軍軍標ー山王三柱神社ー有鹿神社中宮ー有鹿神社ー総持院ー河原口の庚申塔と道祖神ー海老名氏霊堂ー宗珪寺(跡)ー伊能忠敬渡河地ー歴史収蔵館ー庚申塔道標ー御菓子処二葉ー神武社-弁財天社ー安養院ー三眼六足稲荷大権現ーあゆみ橋ー厚木の渡し場ー厚木の渡船場ー渡辺崋山記念碑ー大山街道沿いの商店街ー菊屋雅政房ー厚木神社ー渡辺崋山来遊記念碑(万年屋跡)ー烏山藩陣屋跡ー諏訪海道ー大鷲神社ー諏訪海道ー宇賀弁財天ー長福寺ー本厚木駅

常に大山を見据える道中! 寄り道スポットもたんと!

「海老名駅」から大山を目指して厚木市へと入るのが今回のルートです。
とうとう来ましたねぇ。今日は「本厚木駅」が終点ですが、『ホントに歩く大山街道』のMapでは起点の赤坂御門からちょうど50kmです。何度も言いますが、相当な寄り道をしているので実際の距離は倍くらいになっているとか思いますが、どんどん大山に迫っているって感じです。
海老名から厚木のコースは、ほぼどこからでも勇壮な大山の姿を見ることができますので、それもなかなかの楽しみです。

「海老名駅」から出て小田急線を越える「跨線橋」が最初のチェックポイント。
もうここで大山の全景を見ることができます。スタート直後から良い感じですね。

ここから、前回ご紹介した「大縄」を通り、JR相模線と交差する「相模国分4号踏切」を抜け「二股の交差点」まで一直線です。

今回のルートの約半分は寄り道スポット。古い庚申塔や道祖神などの石仏も多くあります。
「二股の交差点」を過ぎて最初の四つ角の電柱影に崩れかけた大山道標があります。見落としてしまうほど形がかけているので気をつけてくださいね。そしてこの角を右へ行くと「有鹿神社」へ行くのですが、その前に手前の河原口交差点からちょっと中へ入って最初の寄り道です。

道をはさんで屋敷の塀を背に小さなブロックのような目印があり、波マークと海の字が彫られています。これが「海軍軍標」
軍事施設は立入禁止のため、その場所を知らせる標石が設置されていました。この目的は境界を示すもので、さまざまな種類・形状・材質があったらしく、初期の頃は御影石が使われていたそうですが徐々にコンクリート製の粗悪な材質になっていったようです。それでも、ここに軍事施設があったという遺構のひとつに違いありません。

古い小径は、昔ながらの民家が続き静かでのんびりとした雰囲気です。
そのまま道なりに進むと、「三王三柱神社」、少し先に「有鹿神社中宮(有鹿之池)」があります。
「三王三柱神社」は創建年代不詳ですが、山王明神社を基に三峯神社、皇太神宮の三社からなる総鎮守「有鹿神社」の下、上郷の鎮守だそうです。

また「有鹿神社中宮(有鹿之池)」は現在枯れ池ですが、昔「有鹿の井戸」と共に「有鹿の森」の泉でした。
ここから上郷一丁目をくるりと回るように道を進むと、先ほどの「大山道標」角を右折しそのどんつきにある「有鹿神社」に着きます。

「有鹿神社」は、海老名を中心とする有鹿郷にあり、奈良・平安の頃には相模国の国府を守護する神社として広大な敷地と美麗な社殿、門沢橋(厚木駅を越えて更に南下)にまで及ぶ参道、海老名耕地500町歩を有していたそうです。室町の二度に亘る戦乱によって荒廃しましたが、その後海老名耕地の用水を守る水引祭の復興を通して、海老名総鎮守として崇敬されているようです。

鳥居前の道を先へ行くと右側に「総持院」
754年(天平勝宝6)、海老名の郷司藤原廣政が有鹿明神の霊夢により虚空蔵菩薩を本尊として創建したと伝わっています。明治元年の神仏分離までは「有鹿神社」の別当寺でした。

その先のT字路角に、これまた少々崩れかけた「庚申塔(河原口の庚申塔と道祖神)」が並んでいます。
この先を直進すると、最初にご案内した「大山道標」の四辻に出ます。そこから「厚木の渡し場」までは昔「河原口宿」という小さな宿場町だったそうで、入り組んだ辻が何度も続き七曲がりと呼ばれていたとか。その途中に海老名市の「歴史収蔵館」がありますが、先に「庚申塔(河原口の庚申塔と道祖神)」を目印に右へ曲がりましょう。
この辺りは何度も行ったり来たりを繰り返すような道順になっていて、それだけ寄り道スポットが多いのです。

しばし進むと右側の細い路地に海老名氏墳墓入口という石碑が見えます。柄入りの石畳を入っていくと奥にひっそりと「海老名氏霊堂」があります。
海老名氏は「吾妻鏡」や「曽我物語」にも登場する有名な武将。菩提寺とされる寳樹寺の跡地がここで、一族の墓所です。寳樹寺は「総持院」の末寺で、江戸期には幕府から寺領7石の御朱印状を1649年(慶安2)受領していましたが、明治維新後廃寺となっているようです。
また霊堂周囲にある河原口坊中遺跡からは、12〜4世紀の建築跡や遺物が出土しており、寳樹寺を含むこの辺り一帯が海老名氏の本拠地だったといえますね。

その横には何故かいくつかの墓石がありますが、ここは以前「宗珪寺」があったので、その名残?なのでしょうか。見あげれば、さがみ縦貫道路の高架が大きな柱で支えられていますが、その隙間からはやはり大山が見えるのです。いささか太い柱がお邪魔ですが・・・ちょっとホッコリしますね。

そのまま相模川まで出ると、「伊能忠敬渡河地」です。
伊能忠敬は1800年(寛政12)〜1816年(文化13)の足かけ17年に亘り、科学的な手法で日本全国を測量して歩き、世界的にも驚異的な精度の日本地図「大日本沿海島興地全図」を完成させました。
みなさんもよくご存じかと思いますが、隠居後の偉業ということでも感無量です。
この地図で大山街道も描かれているのですから、嬉しいような、更なる感激と言いますか・・・。
河原まで出れば、開けた視界に大山をはじめとする丹沢の山並みと大らかな相模川が広がります。
さて、大分寄り道をしましたが、ここから先ほどご案内した七曲がりへ再度戻ります。

海老名市「歴史収蔵館」へ寄ってみましょう。
ここ、なかなか面白い資料がありお勧めです!ちょっとトイレ休憩含めて海老名のさまざまな角度からの歴史を垣間見てみましょう。地域のコトをいろいろ聴いてみると、詳しく説明してくださる職員の方々もいらっしゃいます。

「伊能忠敬渡河地」から河原伝いを歩きながら七曲がりへ戻ったのですが、さがみ縦貫道の真下になぜか優しいお顔の石仏、そして「歴史収蔵館」近くにはまたしても古い「庚申塔道標」があります。

その道沿いに昔ながらの「御菓子処二葉」を発見!ここまでかなり歩きましたので、そろそろ甘いもんで栄養補給をしましょう。
創業は大正時代、100年になる二葉は優しい3代目のおかぁさんが切り盛りしています。3種の柏餅が人気でこしあん(白)、粒あん(緑)、白みそ餡(ピンク)それぞれに餅の色が違います。

鮎をかたどったお菓子もあります!懐かしい感じの和菓子屋さんいいですよねぇ。串団子が絶品なのだそうですが、来店したときは既に売り切れていました、残念!

「御菓子処二葉」の手前にある「神武社」
海老名市総鎮守・有鹿神社の境外摂社で、石碑がご神体という珍しい神社です。

その先で相模川を渡りますが、今はもちろん橋が架かっていてあゆみ橋相模大橋(じょう橋)の二橋。
相模川に沿った道を行きますが、その前に立ち寄るのが「弁財天社」「安養院」「三眼六足稲荷大権現」です。

「安養院」は山号を稲荷山、清源院(厚木市三田)の末寺とされていて、格雲守存(?〜1634)が開山したと伝えられていることから江戸時代初期に創建されたと考えられているようです。
その「安養院」の中にある「三眼六足稲荷大権現」、稲荷大権現・・・ですから狐さまが御祭神ですけれど、凄い名前だと思いませんか?!
昔からこの辺りの丘に白狐が住んでいて、辺りの田園を守護していたというのです。変幻自在の不思議な神通力でさまざまな障害を退けてくれたことに人々は畏れ敬いて祠を建て、稲荷大明神として祀ったそうです。おとぎ話のような由来が面白いですね。
本殿の梁の飾り彫りには、三眼六足の白狐が収穫した稲に群がるイナゴを追い払う姿が描かれています。必見!

大山詣で栄えた厚木宿へ

さぁ、相模川を渡りましょう。今日はあゆみ橋を通ります。

あゆみ橋は、1996年(平成8)に完成しました。昔は同じ場所に「相模橋」という橋があり、それが架かるまでは「厚木の渡船場」がありました。

その「相模橋」のことを昔から「じょう橋」と言っていて、その石碑が建っています。
庶民の思いによって愛称されたのですが、明治の頃に渡舟から常設橋が架かり常に在る橋、常に渡れる待望の橋・・・そんな思いから自然に言い伝わってきた名前のようです。

また南側に架かる「相模大橋」旧R246、古くから交通の要衝の地に架けられた橋です。
大正時代に関東大震災や豪雨などから改修、1955年(昭和30)には更に架け替えしその工法や素材など多くの点で日本の近代鋼橋技術の先がけとなったそうです。

橋を渡る、ここでまた大山がずっと見えます。
現代の橋の姿と一緒に歴史ある大山を背景に厚木のまちを見ながら渡っていきます。
河原には色とりどりのテントが並び、スポーツや釣りを楽しむ人がいたりBBQの香りがしてきたりなんだか賑やかな風景を楽しみながら心地よい風に身を委ねます。

河原沿いの道を少し上がると「厚木の渡船場」「渡辺崋山記念碑」があります。

このはす向かいの床屋さんbarber Nagashimaに以前お話しを聴いたことがありますが、なんと1701年(元禄14)から代々続く理髪店、中にはその歴史ある系譜(1727年(享保12)に記された「髪結職由緒書之事」)がかかげられており現在の店主は12代目。初代は江戸生まれ、屋号は横町床。
7代目の時に今の長島姓をなのるようになったらしいですが、いやぁ、凄くないですかっ!!
流石に江戸時代は髷や日本髪などを結う髪結いだと話していましたけれど、当然厚木で一番古い理髪店でもあります。
三川合流点「厚木の渡し」と呼ばれた渡船場の目の前、大山詣りに行く人々や芸妓衆で相当賑わっていたとのこと。歴史を肌で感じますねぇ。

そして、大山街道スケッチ紀行でも幾度となく登場している渡辺崋山
お銀様に会ったあと「厚木の渡し」からこの地に入って万年屋に宿泊し、自然と心に残された風景として「厚木六勝」を残しています。
大正期頃の白黒写真だけしが残っておらず“幻の厚木六勝”とされてきたのですが、2017年(平成29)に偶然、ハーバード大学で原画がみつかりカラー作品だったことが確認されました。

「大山街道・厚木宿」に入ると、そこかしこの店には当時の様子を描いたシャッターアートが展開されています。
あゆみ橋から程なくあるのが「菊屋雅政房」
こちらも江戸時代から続く老舗・和菓子屋で、店内には約170年前の帳面や行灯、大正時代の写真などが飾られています。中に求肥が入りモチモチの食感がたまらないやき鮎など、どれにしようか迷ってしまいます。本日2回目の甘もの買い!

「海老名駅」から大山と一緒にたくさんの寄り道をして来ましたからお腹もスカスカ。
そろそろ終点の「本厚木駅」も直ぐですが、その前に最後の立ち寄りポイントと寄り道ポイントへ行きましょう。

このまま進んだ街道沿いに「厚木神社」渡辺崋山が宿泊した万年屋跡として「渡辺崋山来遊記念碑」があります。
「厚木神社」は旧称を牛頭天王社といい、厚木村の鎮守でした。
鎌倉時代初期、弓の名手である那須与一が眼病平癒の祈願をしたと伝えられています。

渡辺崋山はお銀様に会ってから、更に大山詣で賑わう厚木の様子を見るために立ち寄ったといいます。相模川を中心に生産物の交易場として貨物の従来が盛んだったまちを、『厚木の盛なる都(と)ことならす』と称賛しています。商業も栄え風俗も江戸と変わらないということですから、当時の厚木の賑やかさが伝わってきますね。
万年屋に泊まり、市内の文化人を呼んで酒宴を開いたときに厚木の景色を描いてほしいと依頼され「厚木六勝」をまとめました。

「厚木神社」の脇の道を川の方へ行くと「烏山藩陣屋跡」の大きな石碑が見えます。
1728年(享保13)頃、相模国内に点在する領地を治めるため烏山藩主大久保常春が厚木村に代官所を置いたそうです。ここで役人達が年貢の取立てや幕府からの知らせを告げる仕事をしていたとのこと。
そして、そのまま川沿いの道を左に曲がり「相模大橋」へあがる階段隅に、なぜか小さな祠が・・・。
こんなところに謎ですけれど、なんだか不思議。思わず手を合わせました。

大山街道から一本中へ入る小径が最後の寄り道で
「諏訪海道」「大鷲神社」「宇賀弁財天」「長福寺」を回ります。

「諏訪海道」は弁天町から岡田村落へ向かう厚木用水に沿った道で石碑が建っていますが、あまり詳しいことはわかりませんでした。

「大鷲神社」は住宅地の中、小さなスペースに建っていますが、元はこの地の豪商の屋敷社だったそうです。ひっそりとしていますけれど、どうも例年の酉の市では百年以上の歴史を持つらしく、現在も盛大に開かれているようです。その時に来ると、全く違う情景に出会えますね。

更にあゆみ橋入口を越えて甲州街道方面へと向かうと、緑のオアシスのような「宇賀弁財天」と立派な山門が印象的な「長福寺」があります。

「宇賀弁財天」は、「長福寺」に境内社として祀られていたのを1886年(明治19)上裏まちの人たちが当地に祀ったそうです。みどりの植栽がとても心地よく、疲れたカラダにホッとするひとときを与えてくれました。鳥居をくぐって右側に手水と井戸掘盤工事記念碑があり、奥の方から水路が来ています。裏にある看板には「小江戸厚木湧水物語」と書かれ、町おこしの発展を願って掘られたものだとわかります。

その先に関連ある「長福寺」があります。
1648年(慶安元年)元毛利圧厚木郷谷村に普門寺と号して創建、翌年幕府より御朱印状を受け当地へ移転し長福寺と改号したといいます。小田急線沿線三十三ヶ所観世音霊場15番にもなっています。

はい、これで今回の旅は終了。
これだけ寄り道スポットがあるのも、やはり歴史深く栄えたまち(宿)ならではでしょうか。
とにかく今日もよぉく歩きました。「本厚木駅」へ向かいながら、腹ごしらえと行きましょう。

そして、なかちょう大通りで見つけたのが「晴れ屋」
“おいしいごはんと暮らし”ということで、店内にはオーガニック野菜から加工食品、色とりどりの雑貨類、ファッションなどなど「衣・食・住・遊・知」をテーマに化学調味料を使わない料理が味わえ、環境に優しい暮らしの提案も楽しめますよ。

それでは、また次回お会いしましょう! 空きっ腹も限界、さぁ食べるぞぉ〜〜〜!

次回スケッチ紀行は12日目。
「本厚木駅」から「愛甲宿」へと向かいます。
この先は二つのルートがあるため、ランチ後そのルートを一回りして「愛甲石田駅」へ戻ってくるというこれまた長丁場です。どうぞ お楽しみに!
みなさんのご意見・ご感想もお待ちしています。

【以下の書籍とマップで歩いて描いています】
中平龍二郎著『ホントに歩く大山街道』(2007年、風人社)
改訂新版ウォークマップ『ホントに歩く大山街道』(2021年、風人社)
中平龍二郎+編集部著『キャーッ! 大山街道!!』(2011年、風人社)

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: ooyamacv-108x150.jpg
ウォークマップ ホントに歩く大山街道
キャーッ! 大山街道!!