『さがみ大山まいりと祈りのみち 大山講73万戸、4万5千㎞の現地調査記録』の著者、石井政夫さんから、福生市で行われた「ふっさ環境フェスティバルで講演と展示をしてきました」と報告のご連絡をいただきました。
福生?環境? 大山とどんなつながりがあるのかなと思いましたが、「気象予報士の久保智子氏の講演の後、さがみ大山まいりと祈りのみちと展示の紹介をしました」とのことで、雨降り、雨乞いの山のつながりだったのか!と合点がいきました。
石井さんによると、伊勢原や辻堂、足柄上郡の井ノ口など、大山道沿いの地域から来られた方もいたそうで、福生はけっこう大山に熱い場所なのだと感じました。
石井さんが展示の写真を送ってくださいました。


「大山まいりと福生地域のつながりを学ぶ」と題し、「福生は鎌倉街道と日光街道にはさまれた、八王子から大山に向かう重要な地点です」の記述に、心ときめいた地元の方がいらっしゃったのではないかと思います。私は福生地域はあまり親しみのない場所ですが、ときめきました。
シンプルながら、地元の方に親しみのありそうな5つのポイントを示した展示がすばらしく、石井さんにご許可をいただき、ご紹介させていただきます。
福生は鎌倉街道と日光街道にはさまれた、八王子から大山に向かう重要な地点です。
福生関連の大山講檀家数(明治6〜9年)=神奈川県武蔵国西多摩郡 多摩村福生250戸、多摩村熊川150戸

日光橋は千人同心日光街道で、別名大山道と言います。
八王子の千人同心町から八王子街道を大山に向かいました。

※写真がないとのことで、風人社編集部で作成
熊川の渡しは、あきる野の小川から高月城、滝山城を経て八王子に入ります。
渡し場の跡に水鳥がたたずみ、渡し守のように見えます。
大石氏や北条家が関東攻略に使った道です。



牛浜の渡しは、牛浜橋から多摩川を渡り、五日市街道に入ります。
牛浜橋から真っ直ぐの道で、多摩川から五日市街道に進んだようです。公園に石濱渡碑があります。

福生の渡しは、宿橋から多摩川に真っ直ぐ進んだようです。永田橋より少し上流ですが。
加美上水橋の近くに富士見ヶ丘があり、竹のめがねがあります。
曇りの日なので、富士山も大山も見えませんでした。
(晴れた日は見ることができますが、木の葉が繁る時期は邪魔をします)
※拝島駅から晴れた天気の良い時には、見えることがあります。



『さがみ大山まいりと祈りのみち 大山講73万戸、4万5千㎞の現地調査記録』の中で、今回の展示に関わる記述の場所も、石井さんに教えていただきました。
・日光例幣使街道と鎌倉街道山の道は、182~184ページ
・鎌倉街道山道は、42~43ページ
・「築地(ついじ)の渡し」は、278~279ページ。昭島(築地村)から南多摩の栗の須へ出る渡しで、拝島の渡し、平の渡し、築地の渡しで、熊川の渡しより3つ下流です。この時代は各村が自分の村の渡しを使い大山に向かったようです。
昭島市HPに築地の渡しについてのページがありました。現在の多摩大橋が架かっているあたりが「築地の渡し」だそうです
「築地の渡し跡」
https://adeac.jp/akishima-arch/top/space/spaceE/E17.html
昭島市のHPにあった、戦後、渡しだったところに架けられた小さな橋を東京オリンピックの聖火リレーが渡ったというのも面白かったです。通過の2日前に橋破損のエピソード、びっくりしたと思います。
『さがみ大山まいりと祈りのみち 大山講73万戸、4万5千㎞の現地調査記録』、A4判352ページの大著には、大山道の情報が詰め込まれています。今回のように地域を絞ってクローズアップしてみると、その奥深さを改めて感じました。他の地域についても、石井さんに改めてお聞きしてみたいと思いました。

(こ)記