山田宗睦さんが2024年6月17日に逝去されました。享年99歳でした。

山田宗睦

2024年7月15日付の各紙新聞に訃報記事が載りました。
山田さんは、風人社創立以来の弊社発行本の著者で、数多くの著書があります。
今の若い人(50歳以下ぐらい?)はご存じないかもしれませんが、一昔前は文化人として大変著名な方でした。

著書も多数あり、特に『日本書紀の研究ひとつ』は、評論家をやめられてからの古代史研究の集大成で、遺書のつもりで著述されたものです。『日本書紀』の現代文訓み下しと一語一句の全注解として『日本書紀史注』を巻第四まで弊社で刊行しました。

『日本書紀の研究ひとつ』以降は、さらに書き残したこと、各紙誌に寄稿された随筆などをまとめた『雑文(くさぐさのふみ)』を第3巻まで刊行し、第4巻の校了間際で中断され、ご逝去に至りました。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【山田宗睦(やまだ・むねむつ)さん略歴】

1925年下関生まれ。
幼少期を下関、稚内、金沢、函館で過ごす。
1941年、旧制の水戸高校(文科乙類)に入学し、『日本書紀』にであう。
1946年、京都帝国大学文学部哲学科を卒業。
編集者(「思想の科学」)、評論家、大学教授(桃山学院大学、関東学院大学教授)を経て、還暦以降、『日本書紀』の研究、執筆に専念することとした。朝日カルチャーセンターでの講読解説を長年にわたり継続した。
著書『山田宗睦著作集』『魏志倭人伝の世界』『異志倭人伝』『わたしの日本誌』『道の思想史』『花の文化史』『ヤポネシアへの道』『旅のフォークロア』『神々と天皇』など多数。
2024年6月17日 ご逝去。

風人社発行の山田宗睦先生の著書

『日本書紀の研究ひとつ ジョン・ロックのように日本書紀を読んだなら』(2016年12月発行)

日本書紀の研究ひとつ

【日本書紀史注】

『日本書紀史注 巻第一 神代上』(1997年2月発行)

『日本書紀史注 巻第二 神代下』(1997年7月発行)

『日本書紀史注 巻第三 神日本磐余彦天皇(神武)』(1998年2月発行)

『日本書紀史注 巻第四 欠史八代及び日本書紀関連地図集(1)』(1999年2月発行)

➡日本書紀史注について

【雑文(くさぐさのふみ)】

『雑文(くさぐさのふみ)(一)紀伝以前(原則として1985年から)』(2017年7月発行)

『雑文(くさぐさのふみ)(二)紀伝着手以後(原則として2000年まで)』(2018年12月発行)

『雑文(くさぐさのふみ)(三)紀伝以後(原則として21世紀)』(2020年2月発行)

『雑文(くさぐさのふみ)(四)未完

【その他単行本】

『まち・みち・ひと・とき』(1996年1月発行)

まち・みち・ひと・とき 山田宗睦

【何のための知識シリーズ】

1 耳は何のためにあるか 編著(1989年8月発行)「耳の意味を考える」

2 眼は何のためにあるか 編著(1990年2月発行)「眼の意味を考える」

3 手は何のためにあるか 編著(1990年9月発行)「手の思想」

4 人間の痛み 編著(11992年1月発行)「序 痛みとは何か」

5 足は何のためにあるか 編著(1992年12月発行)「足の思想」

6 口は何のためにあるか 編(1994年2月発行)

7 頸(くび)は何のためにあるか 編著(1995年1月発行)「首の座」

【KAZESAYAGE(風人社通信紙)】

1号(1995年10月発行)「ヘリコバクターピロリ わが潰瘍をめぐる新旧対立」

2号(1195年11月発行)「なぜ日本書紀か 筑紫史益」

3号(1995年12月発行)赤松俊輔「山田宗睦さんの日本書紀」

7号(1996年4月発行)「特別寄稿 司馬遼太郎さんのこと」

18号(1997年3月発行)大野敏「『日本書紀史注』装幀奮闘記」