編集コラム

 


『渥美清の伝言』

 テレビ放送番組を一冊の単行本に編集する。この仕事を責任編集として弊社が初めて引き受けたのは、『渥美清の伝言』 だった。
 それ以前の1998年末に、NHK番組「課外授業ようこそ先輩」(第1期 )の編集協力と、デジタル入稿のためのDTP制作全般 の依頼を受けて、半年の経験があった。
  デジタル入稿は、周知のとおり、プリプレスのコストの圧倒的ダウンと、編集者自身が行ったときの、これも圧倒的スケジュールの圧縮という、いいことづくめの新システムである。しかし、当時、伝統的編集者はデジタルが扱えないし、デジタルスペシャリストには、伝統的編集力の蓄積がない。それゆえに、古い編集者には耐え難いセンスの単行本が溢れ始めていたのも事実だったと思う。
 DTPは、出版・印刷業界の産業革命的な趣を持つと同時に、弊社のような家庭内工房のような零細業界人にとっては、まさに貧者の超最新兵器となった。弊社では、1994年暮れから、自社 発行本はDTPに切り替えた。これは業界でもかなり早い導入である。なぜできたかの理由はとても簡単で、これなくしては生きていけないほどの貧乏だったからだ。町工場の印刷の版下下請けも始めて、それが飛躍的な技術の向上をもたらした。
 テレビ番組の単行本化の話に戻る。テレビ番組の本には、当然画像の編集が必須である。 一冊の単行本に100枚の写真が入る本は特殊である。しかし、テレビ本ではそれが可能(何しろシャッターチャンスを考えて撮られた写 真ではなく、連続映像から任意に写真が撮れるのだから)だし、DTPでこれを行えば、以前の方法ではかなわない利点となる。テレビ本の革命でもある。
 コストの話も少し余談ながら付記しておくと、従来の方法では、例えばカメラマンが 撮った100枚の写真が手許にあったすると、これをレイアウト用紙に対角線を引いてトリミングをし、印刷現場では分解フィルムを作成して、文字版に貼り付けなければなならい。分解代だけで1枚600円としても6万円。DTPでは、これをページ組版に繰り入れることができる。トリミングもモニター上で自由自在である。
 今では多くの人がDTPを扱えるが、当時、「課外授業」の組版を弊社が請け負えたのは、自社発行本のDTP制作があったからだった。 そしてこのとき、編集協力(弊社は版元からは孫請けの関係)という形ながら、DTPによるレイアウトでの編集・制作同時進行のために、本のソフト面 への関与は大きかった。
  「課外授業」の第1期は10巻まで出たが、毎巻毎巻、新しい試みに挑戦できて、ほんとに楽しかった。デジタルの可能性の大海で手足を伸ばして泳いでいるような心地良さがあった。例えば、第8巻の、岩井俊雄さんの「パラパラ漫画がアートになった!」では、今までの本では絶対できないだろうと得意になりながら、テレビ映像から細かなコマ送りによる連続画像を取得し、ページノンブルの上に、小さな画像を数十ページにわたって貼り付けて、パラパラ漫画を書籍中に入れてみたりもした。
 しかし、自分たちの仕事に大きな欠落があったことを知るのは、まさに、『渥美清の伝言』 のときであった。最初に述べたように、本書で初めてテレビ本の責任編集を担当することになった。じつは、それまでは、テレビの本放送のビデオ1本しか、弊社の手許には送られてこなかった。割愛された膨大な取材ビデオの存在は知っていても、それがどんなものなのかは知らなかった。本文のリライトは、ベテランのリライターが分担担当しており、しかもその原稿整理と再リライトも超ベテランの編集責任者が担当していたので、独自でやらなければならない弊社の仕事は、画像編集が主だった。
  テレビの本放送では、莫大な取材から当然もっともいいカットをつなぎ合わせており、割愛されたものは第2級と考えられ、もし万が一第1級が埋もれていても、数十本のビデオをVHSに落として、片っ端から見ていって拾う作業など、限られた日程のなかで、とうていそんな発想はでてこなかった。じつは、これが大きな考え違いであったと、あとで知ることになる。
 放送番組を文字の台本にした「完成台本」というものがある。ナレーションと、出演者の音声を書き取ったものだ。1時間の番組で、どれほどの文字分量 となるか。
 NHKエンタープライズの一室で、本番組担当ディレクター(そのときは不勉強でよく知らなかったが、著名な大ディレクターだった)氏が、完成台本を前に
「この台本で、このままを本にした場合、何ページになりますか? 」と、尋ねた。
「小見出しなども入れて引き伸ばしても、図版を計算に入れない段階では、30ページぐらいが最大でしょう」と、私。
 つづく沈黙の時間には、いま考えるといろんな意味があった。そのことは、この文章では直接にふれていることはできない。話を先に急ごう。
 弊社が初めに出した企画案は、NHKではかなりの不満と不安があったのだ。いま思うと、少し赤面 ものだが、弊社にも少しの言い訳がある。関連資料も現物も、そのときほとんど何もなかったのだ。しかも、依頼の話があったのは、5月下旬、版元では、「できなくてもともと」の、渥美さんの命日8月5日に本があればベストという、プレッシャー。下請けの命は、納期とクオリティーの及第にある。200ページを超える本をつくるには、かなりの思い切った作為をなさねば無理だと考えた。
 この番組の元は、NHKの「クローズアップ現代」で放送された「寅さんの60日」というNHKのドキュメンタリーである。「男はつらいよ」(第48作)の撮影現場を同行取材したいという企画は、マスコミ嫌いの渥美さんが認めるはずがないと半ば「だめもと」で出していたものが、なぜかokが出て、松竹でも山田監督も驚いたほどだった。この間の事情などは、本書冒頭の岡崎栄さんの文章に詳しく、ぜひ読んでもらいたい。
 この放送は、渥美さんが亡くなる前のことで、いいも悪いも少なからずの反響があった。そして、渥美さんが亡くなったあとでは、この番組の意味がきわめて重要なものになってしまう。これも私が言うべき事ではなく、本書に譲るのが当然である。
 渥美さんの死のあとで、この番組の映像を元にしながら、「渥美清の伝言」が制作された。追加取材は、生前親しかった「寅さん」レギュラーや黒柳さん、それに48作カメラマンなどのインタビューが長時間にわたって行われた。インタビュアーと語る人との間には非常に長い交流があり、その信頼感ゆえにできた取材であると同時に、本書への収録が許可されたのだった。
 密着取材ビデオが60時間分、証言の追加撮影分が20時間。もし30分ビデオに落とすのを単純計算すると、120本のビデオになる。この取材のオリジナルテープと、本のためにVHSビデオで見るのとは形式が違う。全部をVHSに落とす費用・時間はない。 版元の担当者がこれは必ず必要と思えそうな何本かをあらかじめVHSに落としてくれた。「他の必要なものは、要求してください」と簡単なリストを準備してくれた。
 弊社では、外注のライターを準備し、密着ビデオの良さそうな所を状況描写風に記録していこうと考えた。メインには、渥美さんの最後のインタビューがある。
 しかし、「それでは、この本はだれの渥美さん像になるのですか?」と、ディレクターの不安は大きい。そして「証言取材のなかには、本放送に泣く泣く使えなかった いいシーンがあるんだが・・・」。
 この一言で、編集方針を全部ひっくりかえしてしまった。まず、証言取材のほぼ全テープをVHSに落とすことを決断して版元にお願いし、テープ書き起こしは、こちらで選択したものを順に外注にお願いする。ライターは、それを次々リライトしていき、こちらで検討する。徹夜の日数はもう忘れた。
  およそ2週間で初校のゲラを出す。証言者15人の著者校正が絶対必要だからだ。スケジュールの厳しいタレントの方がほとんだ。これを、版元担当者が見事にてきぱきと連絡を取ってくれた。こちらも電話やFAXでやりとりを重ね、十分に見なしされた証言になっていった。克明に語られた証言は、原稿整理で何度も読み返しても、胸がぐっとつまってきて、目が潤む。克明な証言の採録という作業の結果 がもたらす、「文字の力」が歴然を姿を現すのだ。
 映像とは、また違う、文字の力もすごい。このことを、多くの読者に知らせたい、と思う。「別冊課外授業」も、多くの人は、テレビの採録本くらいにしかきっと思っていないであろう。
 こうして、無事に納期前に本は完成し、最終的にはNHKにも大変喜んでもらえ、弊社自身も十分満足できる本になった。ここで、宣伝させていただきたいが、本書はもっと多くの読者に読んでもらってしかるべき本である。偶然本文をお読み下さっているあなたも、きっとご存知なかっただろうから、ぜひ、とお薦めしておきたい。今すぐ、ご注文は、こちらへ(弊社での受付は終了しました。お手数ですが、ご注文は中央出版さんか書店様にお願いします。06年4月14日)。版元からすぐお送りします。


『綾戸智絵 ジャズレッスン』

 テレビ番組を単行本にしたものは、テレビの映像と音楽以上の力を書籍が担うことができない、と思っている人は多い。「邪道だ」と言った声も聞いた。テレビの本は、出生から不幸だなと感じている。
 そんなことはないですよ。文字の力はすごい、ということを上記の『渥美清の伝言』 のところで、しつこく述べておいた。こちらを先にお読みの方は、ぜひざっとお目通 しくださるとうれしい。

 この本は、編集者としては大変心に残る嬉しい本だが、まだ作り終えた余韻が残って、今は、生々しいことを詳しくは書けない。お陰様で、今日(2000年10月31日)、増刷が決定して、一安心だ。
 放送番組を家で見たときは、なかなかの迫力で少し興奮気味なテンションになった。ただ、いつも、「この番組は本にできるか」という見方も忘れているわけにはいかない。「音楽でなかったら・・・」と、すぐに本にできると考えたわけではなかった。
 テレビ番組では、ゴスペルを歌う子どもたちや、LET IT BE の子どもたちのテープ聞き取りが非常にうまく構成されていて、そのぶん、そこだけを文字化しても、音楽は本からは伝わらない。テレビと書籍の違いをうまく活かして編集できるか、それが問題だった。
 今、本のオビの背に「本でライブを」と書いたことをちょっと反省している。「読むアヤド!」がよかったか。最後の段階で版元責任者永井さんのアドバイスで、授業以外のライブテープを起こして、もうひと踏ん張り、巻頭にライブトークを入れさせていただこうかと検討していた。掲載がだめなら、限定一部のライブ記録冊子を作って、綾戸さんにプレゼントすればいい、と思って作業した。
 結局、それはオビ裏の「ライブのトークから」という形で読者に提供できた。ライブビデオの感動が、そのままの勢いで、「本でライブを!」ということになった。音楽が読者にわき起こってくるようなライブ記録にできればいいのだが、と思った。
 番組プロデューサーの鈴木ゆかりさんの示唆が、非常に貴重だった。そのおかげでこの本は、課外授業に忠実に文字化する方針がうまくいったと思う。人生も音楽も、文字の力で読者の胸の内で響いて欲しい、そういう思いで原稿整理は5〜6回は要し、だいたいの形ができてから以降の完成までにかなりの労力と時間を要した。
 文字は、特定の映像や音を読者に強要しない。この本では、じつは画像を極力控えめにした。このシリーズでは珍しいことである。それから、音を文字で説明しない。また、綾戸さん自身の言葉以外に、綾戸さんの経歴を「文学的に」語ることは絶対しない。それが大方針だった。
 編集者の願いは、文字とじっくりつき合ってくださって、そこに読者の世界の音を響かせてもらいたいということである。「本でライブを」というのは、そういう意味なので、決してライブの迫力を本でなぞろうというのとは全く別 の世界である。
 

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