訳者紹介・著者紹介
<訳者紹介>
植木絢子(うえき・あやこ)
1939年、埼玉県志木市に生まれる。
埼玉県立浦和第一女子高校を経て、1969年、岡山大学医学部大学院(医学研究科)卒業。1971~73年、アレキサンダー・フォン・フンボルト奨学生として、ミュンヘン大学医学部病理学教室に留学。1990~2002年、川崎医科大学衛生学教授。2003年より、川崎医療福祉大学教授。現在にいたる。(リハビリテーション学科所属)
研究テーマは、作業関連物質(とくにアスベストおよび珪酸)の曝露による自己免疫発症機序の解析。
<著者略歴>
Karl Wieninger(カール・ヴィーニンゲル)
1905 年生まれ、1999年死去。
ミュンヘンで育ち、ナチ時代には反ナチグループに属した。1942年、両親の陶磁器工場をついでから、経営者としての業務の傍ら、執筆活動を行う。1945年のキリスト教社会同盟結成に参加。ミュンヘン市議会議員、ドイツ連邦議会議員。本書は1987年に出版した。
本書の目次
序 森本兼曩(大阪大学大学院医学系研究科社会環境医学講座教授)
発刊に寄せて 松下敏夫(鹿児島大学名誉教授)
第1章 ドナウ湿原の故郷
祖父の働き/父母のなれそめ/マックス・ペッテンコーフェルの誕生/羊飼いの友達/大好きな学校/家事を手伝う日々/農民の生活/両親の辛苦
第2章 御典薬師の伯父
郷里からの手紙/ゼイファー・ペッテンコーフェルの回想/マックス少年の受け入れ/大人たちの想い
第3章 マックス少年 街へ行く
ミュンヘンへ/伯父の家/ミュンヘンの喧騒/街の生活と友達/ギムナジウムへ/進路の選択/母の死
第4章 大学生活、にわか俳優、そして恋
ミュンヘン大学入学/王宮薬局での実習/役者への転身/ヘレーネとの恋/勉学復帰/リービッヒのもとへ/無為の日々
第5章 金属学への寄り道
王室造幣局への就職/結婚/金、銀、プラチナの分離/化学の分野での発見/ポンペイの赤ガラス復元/「医化学」準教授に就任
第6章 大学教師としての出発
医学部準教授に就任/ペッテンコーフェルの講義/ペッテンコーフェルの繊細な内面/ルードウィッヒ一世の退位/王宮薬局長を命じられる
第7章 リービッヒをミュンヘンへ
国王マキシミリアン二世の願い/ペッテンコーフェルへの命令/ギーセンでの交渉/リービッヒ教授をミュンヘンへ迎える
第8章 ペッテンコーフェルの多彩な才能
セメントの改良/木炭ガスの発明/絵画の修復/記念碑の汚れを除く/毒蛇の捕獲
第9章 科学としての衛生学
空気の乾燥と健康/呼吸に要する空気/体温維持と空気/体温調節と衣服/健康と住居/家の新築に要する水の量/照明用ガスの危険性/換気/健康と栄養素/測定装置の設計と国王からの援助/衛生学の創設
第10章 コレラとの闘い
コレラ流行の拡大/パリでの惨状/ミュンヘンでのコレラ流行/ペッテンコーフェルもコレラに罹患する/コレラ対策委員会責任者となる/コレラ流行の俯瞰図/ミアスマ(毒気)説/地下水位とコレラの流行/ペッテンコーフェルがまとめたコレラ流行についての概念/社会の激動と学問・芸術の黄金期/ミュンヘンからの汚物除去/上水道の設置/屠殺場の管理/コレラ菌の発見/コレラ菌を飲む/王宮薬局長としての働き/衛生学講座の創立
第11章 全世界からの称賛
さまざまな大学からの招請/名誉市民となる/宰相ビスマルクからの招請/貴族の称号フォンとバイエルン科学アカデミー総裁/ドイツ化学会からの表彰/イギリス公衆衛生学研究所からの表彰/世界の弟子たち/栄誉の数々/たくさんの勲章
第12章 ぺッテンコーフェル、その人間像
家庭生活/庶民感覚/弟子達から見たペッテンコーフェル/ウィットに富んだ会話/クナップ教授の回想/子供たちの死/ゼーハウプトの家と妻の死/公職からの引退、死
第13章 追悼の辞
関連年譜
訳者あとがき