風人社トップ 「大山街道の本」編集日誌

温故館(おんこかん)
海老名市国分南1丁目6番36号(国分バス停そば)

※開館中。(2011年4月〜)
 
長らく休館していましたが、耐震補強工事が終わり、開館しています。

 海老名市温故館
 
http://www.city.ebina.kanagawa.jp/www/contents/1309134389326/index.html

2006年5月4日(木)訪問

 海老名市の国分宿の中間に温故館という古い建物があります。もと、海老名村の村役場だったもので、現在は海老名市の郷土資料館です。ちょうどこの裏が相模国分寺跡になっています。

温故館
 1階は土器や石器、瓦などが展示してあり、2階は千歯こきやふるいなど(もっとたくさん種類があります)の農機具や、食器やちゃぶ台などの民具が展示してあります。農機具はそれを使う季節ごとに展示されています(使っているときのイラストや写真が添えてあるのがすごい)。また、壁には農家の年間スケジュールの表が貼ってあり、びっちり行事と仕事で埋まっていました。
 2階に上がる階段には「うすの作り方」を段階的に撮った写真に展示してあり、「うす」の作り方は考えたことがなかったのですが、多くの工程を経てできるものだと感心いたしました。
 そのときは、私一人だけしか入館しておらず、館の方がわざわざ電気を点けにきてくれました。温故館の窓からは(特に2階から)国分寺の遺構がよく見えます。
 2階の民具が特に面白く、一つ一つ見ていたら大変な時間になってしまうことに気が付きました。お礼を言って館を出ようとしたら、職員の方がこの温故館のことや近くの遺跡の説明をしてくれたのでとてもラッキーでした。

下駄箱という意味がよくわかります
 そもそもこの資料館は、隣の国分寺跡から出てきた土器や瓦などの資料を保存するのに作られたました。(大正10年/1921年)。当時は畑で(今も遺構跡の中で農作業をしていました)農家の人がちょっと掘ると、土器がゴロゴロ出てきたそうです。
 国分寺が建てられた頃は、西を流れる相模川のあたりまで相模湾が入り込んでいたようだと、館の方は地図で示しながら教えてくれました。国分寺の南北に古墳や遺跡がいくつもあります。相模台地と呼ばれる部分で、相模川が流れている地点に比べて標高があるので、陸地だったところなのだと思います。また、相模川の岸の付近をある程度掘ると、玉砂利が出てくるので、川というか海だったことを示しているとも言っていました。

上:国分寺復元模型:国下:国分寺跡 運動もできます
 海老名はけっこう古い土地なのだと感じました。ちなみに海老名という地名ですが、海老名市のホームページ(http://www.city.ebina.kanagawa.jp/)によると、「大きなエビがいたから」という記述が『有鹿神社縁起』にあるが、あくまでも説話ではないか。<語源的にいって、エビはイビ(ユビ)と同じく「節があって曲がっているもの」をあらわす語だといわれています。そこから転じて、「階段状の地形」を意味する地名語となったと思われます。すなわち、エビナは「段丘崖の目立つ地」ということになります。>(ホームページより)高台と相模川との高低差がわかる地名だと思いました。
温故館から国分寺跡へ出るには住宅の間の細い道を通ります
 海老名は、(これも温故館の人が言っていたのですが)大山街道と旧東海道も通っていたこともあり、昔から交通の要衝だったようです。今でも東名高速道路が走り、東西にいく小田急線と南北のJR相模線が交わっています。
 国分寺跡の500メートル北に国分尼寺跡もあるようです。こちらは見に行かなかったので、ちょっと後悔しております。
海老名駅前のショッピングモール・ビナウォーク内にある国分寺七重の塔モニュメント
温故館2階に展示されていた蠅取器
図解が面白い