2/5/13

風人社トップ 風人社更新日記

岩田たに泉さんの裁判について

三宅岳さんのfacebookより、以下に転載させていただきました。

2011年12月10日に「岩田さんを励ます会」と称して軽い山登りと懇親をする予定です。
興味がある方は連絡をください。(※終了しました)

三宅岳さん撮影による岩田さんの道標の写真は→こちら


 2011年11月14日。本日早朝。岩田たに泉氏より電話あり。固定電話で受け、手元にメモ用紙等なかったために、その際の記憶をもとに書き記す。

         *

 まず、その前に岩田氏について。僕が知る岩田さんは、丹沢西部、不老山付近から明神峠、さらに三国山から畑尾山、立山周辺にかけて、手作りの遊び心いっぱいの道標を立てて登山者の安全を守ってきた人なのである。今年も岩田さんと山で出会っている。サンショウバラの咲く「樹下の二人」。その後、昨年のゲリラ豪雨以来、崩壊して行政が通行止めにしている林道を、通りすがりの登山グループを誘って、下山。悪路ではあるが険路ではない。一般登山者には勧めがたい状況だが、「行政ががんばれば、歩く道なら復旧する。」と岩田さん。確かに、行政ががんばれば、峠道は復活する。しかし、その動きは無く、そのコースは僕のガイドブックから消している状態なのだ。

 一方で、かつては学校の教師として、そして最近まで小山町の町議会議員としても活躍してきた岩田さん。「選挙の時は、名前を連呼せず、童謡を流しながら」という、何とも人を喰った岩田流でやっているのだという。

 平成9年に僕が記した原稿がある。「道しるべもアートである」と題した岩田さんに関する拙文。少々長いが、本題の前にこれを読んでいただこう。

*           *

  みちしるべ。

 ひとり寂しく歩くときにも、仲間でワイワイ歩くときにも、ふと気になるのが道の行く末。そんなとき路傍の道しるべが、どれだけ心を温めてくれることか。そんな経験を二度三度、いやいや毎度の山歩きでかさねている人も少なくないだろう。

 さて、処は丹沢山塊をずずずと西に向かった最果ての地。もはや相模の国を離れて駿河の国、静岡県小山町に踏み入った山域である。不老山から湯船山、さらに三国山稜を乗り越え篭坂峠に至る県境の山々。近年じわりじわりと人気の出てきたこの一帯の、その人気を影ながら、いやいや正面堂々と支えているのが「道しるべ」なのであります。

 ふと立ち止まる要所要所に、すくっと立ちあがる道しるべの、なんと楽しいこと。まずは道しるべとして、ここがどこであり分かれる道はいずこへ続くか、といった情報が書かれるのみならず。そこに描かれるは、花鳥風月の趣であり、嘘か実かの故事来歴、挙げ句の果てにはなぞなぞで知識を問われるという、まあ摩訶不思議なる道しるべ。

 オマケにその出で立ちときたら、曲線多用の遠景描写がそのまま輪郭となる看板風があれば、廃物スピーカーを傘にした謎の浪人風あり、刻みも粗い木訥彫刻あり。遊び心が遊びを呼んで、もはやアートの領域へ踏み込む道しるべ。とにかく頬が緩むこと必定という面白おかしな道標がずらり。

 しかし、頬が緩むばかりではなく、時には激しい情のこもった「一筆申し上げ候」調の少々穏やかならぬ反骨の道標まであり、ウームと唸らされる始末。

 これらの道しるべ。地元の小山町に暮らす岩田澗泉さんの手で製作設置が行われたものである。

*     *

 小柄ながらも、飄々と風を受け流すように山道を歩く岩田さん。時間が許せば足繁く山々に通い、道標を整える日々を過ごしている。

 さらに、自宅前は下山した登山者も多く通る場所。ザックを背負った人を見かければ、にこやかな笑顔とともに声をかけ、山の様子・道の状況を尋ねている。とにかくフットワークの軽い岩田さん。何と大正一五年の生まれである。すでに八〇歳を優に越しているのだから驚きだ。 

 ところで、岩田さんが設置した道標は、平成六年以来一四年間に一六〇本強にものぼるという。これだけの導標を個人で立て続けたのは驚異としか言いようもない。

 さて、岩田さんがこれ程までに道標を立てることにこだわった理由はけっして一つではない。さまざまな理由が輻湊して岩田さんを駆り立てたのである。

 そのさまざまな理由を、ぐっとしぼってザックリと記そう。この山域では指導標が老朽化して実際に道迷いが発生していた。ところが行政側が適切な指導標を建てなかった。さらに、やっと建った指導標には、かえって道迷いを誘発するようなものまであったのだ。

 「そこにあるだけで罪な道標」と判断した岩田さん。その道標を引っこ抜き、道標持参で警察に自首したことまであったという。

 こういった諸処の理由から、岩田さんは自らの手で、指導標を建て続けた。

 それにしてもあの面白さはいったいどういうことなのだろうか。

 「ハイカーに楽しんでもらいたい。」「自然保護も訴えたい。」さらに「(普通の)道標では面白味がない。」という岩田さんの思いが表現となったのが、指導標なのである。

 だからこそ、山野草の鮮やかな絵、そして木目や財の曲線を活かすなどしたユニークな形。そしてちょっとエスプリを含んだ解説文。眺めれば眺めるほどにニヤリとさせられる道標が誕生したのである。

 なお、「山は山をして語らしむべし」と賑やかな道標が批難されることもある。絶えず、余分なことを書きすぎたかな、と思いながらも、多くの励ましを背に道標を立てる岩田さんなのである

*             *

 以上がその原稿である。雑誌向きなので、穏やかに表現してはいるが、実際にはもう少しドロドロとした出来事もあった。岩田氏の道標が一気に五十数本以上抜かれた「事件」があった。これが事件でないのは、聞こえのよいNPOという輩が行った事業だからであり、その背景には、どうやら行政の思惑が見え隠れしているのである。また、不審火で自宅が全焼ということもあった。原因不明で片づけられたようだが、疑問の目で見るとなんだか怪しいのである。

 岩田氏は「僕がやった方が行政が道標を立てるよりずっと安上がりで、税金の無駄も少ない」という主張もしてきた。確かに、道標一本の値段というのは、なかなか高価だ、ということも、岩田氏との交流の中ではじめて知ることになったのである。

 行政と個人。小山町と岩田氏の関係は、ギクシャクとはしながらも、ここ数年でかなり良好になってきていると、僕は感じていた。「富士箱根トレール」という看板を掲げ、町をあげて、登山客を歓待する姿勢を見せはじめたからだ。残念ながら、岩田さんの指導標のことは、相変わらず「困った存在」として町はとらえていたようだが、それでも共存できるところでは共存、という方針が何となく見えていた。そして、岩田氏は老骨にもめげずに、かなりの日数、山に通って登山者の安全を図っていた。

 ところが今年の四月、町長選以降、新町長による体制では「富士箱根トレール」を推し進めてきた「まちづくり推進室」が組織変更で消滅してしまったのである。なお、この選挙は小山町の町議選と同時選挙であり、無所属の議員として活躍してきた岩田さんはこの選挙で落選している。

*           *

 さて、いよいよ本題である。

 受話器の向こうの岩田氏曰く。「33日間拘留されていた」とのこと。

 寝耳に水。器物損壊で二百万円の保釈金で仮出所?中。22日に沼津の裁判所で裁判があるという。

 ことの起こりは、九月二十七日。矢倉岳で遭難事故があったという。家族が離れ、父親が下山。母と息子は翌朝発見されたが、ヘリまで飛ぶ事態であったという。 (インターネットに残る記事http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110928/dst11092811190009-n1.htm

 残念ながら僕はこの付近に行ったことがないのだが、どうもかねてより間違えやすい場所であったようだ。岩田さんの話によると、どうも既存の道標の向きが、正しい方向とは異なっていたとのこと。岩田氏はその指摘をずいぶん以前よりしていたとのことである。その地点自体は神奈川県南足柄市になるようだが、実際に富士箱根トレールを利用する登山者がそちらを結んで歩いているようなので、少なくとも行政の連携が必要な場所であると考えられる。

 たまたま、そのことで同日も小山町役場に行っていたという岩田さん。善処する、といわれ続けて二年間、町は何の対処もしてこなかったということなのだ。(ということは、前町長時代からですね・・・)

 また、担当が変わった先の現在の部長は「ゴルフはするけれども」山には興味がないということで、自分の管轄でありながら、指摘のあった現場をはじめ、山をその目で確認することすら一切していないらしい。

 さらに、登山道の起点とも言ってよい、健康福祉会館にある地図看板、あるいは駿河小山駅の前にある看板には間違いが非常に多いこと。こういった様々な出来事が、岩田さんの心を大きく痛めていたのである。

 そして、この九月二十七日のことで、岩田さんは怒り心頭。役場の立てた看板の文字をペンキで修正してしまったのです。健康福祉会館前の看板に手を入れたのは二度目。一度目は、正しくなおしたのに、また役場で消されてしまったとのこと。駅前の看板には、修正を入れただけではなく、矢倉岳の遭難箇所に、怒りの一撃をトンカチか何かで加え、凹ませたとのこと。

 以上の行為の後、警察に自首。(これは以前、役場の立てた間違え道標を抜き去った後にもあった話です。)さらに、町当局が被害届をだしたので、拘留されてしまったのだそうだ。やれやれ。全く過激だけれども、実に岩田さんらしい。
 ところが、たかだかこんなことに対して、警察は33日間も拘留したのであるという。あれこれ理由付けをして、拘留期間をのばしていったそうなのだ。たとえば、証拠のペンキを確認するため、わざわざ自宅に手錠付きで調べに行き、デジカメが不調だったことを理由に、別の日に再度同じことを繰り返すなど、聞くだけで、税金の無駄!時間の無駄、としか思えないことなどを行っていたという。まあ、ずいぶんつまらない老人いじめですね。

 釈放後、独り身で自宅に置かせるわけにはいかないという行政側の勝手な配慮?とのことで、御殿場にある息子さんのお宅にいるという岩田さん。

 女性の国選弁護人が、まあ、何もやらない、とどこまでもヤレヤレなのである。

*        *

 まあ、器物損害の罪に関しては仕方がないのかもしれないが、岩田さんの道しるべでどれだけの人が助かってきたことか。さらに、あの道標に出会うことを目標にどれだけの人がこの地域を訪れたか。その経済効果だってかなりあるのである。

 少なくとも、、岩田さんがいらっしゃらなければ、僕の丹沢のガイドブックにあれだけの不老山周辺のコースを載せることはなかったのです。



 あまりに、理不尽な行政の対応に思わず長々と書いてしまいました。ウラをとるということはせず、ほとんどが今朝の岩田さんの電話から記しています。

 実際には行政による見えない裁かれない非道がもっと数多く行われていたのではないか、と思うのですが、ここまでにします。とりあえず、心から岩田さんを激励しつつ、この文章をおしまいにします。

 岩田さんがんばれ。また、一緒に山に行きましょう。

風人社トップ 風人社更新日記