●2005年12月29日(木)
『誰も知らない丹沢』を印刷所に入稿に行った日に、作家の安引宏さんが来社されました。あいにくお目にかかれませんでしたが、安引さんは出たばかりのご自分の本にサインをしてわざわざ届けに来てくださいました。
安引さんは、元集英社の文芸雑誌「すばる」の創刊編集長でしたが、再開第1回中公新人賞を受賞して、作家活動に転じられました。
私は、安引さんの著書の編集者としてではなく、印刷組版のオペレーターとして出会いました。それ以来、風人社の月刊通信誌「KAZESAYAGE」の連載執筆を、本誌休刊までの間、毎号欠かさずに続けてくださいました。
最近は、英米でベストセラーとなった哲学書の著者アラン・ド・ボトンの、その大著3部作の翻訳をなさっていました。これで3部作とも、サイン入りでいただいたことになりました。
安引さんのことをご紹介したのは、いただいた本を開いて最初に目に入った文章が気に留まり、それを紹介したかったからです。
その文章を読んだ直後に、s−okさんからのメールが届いているのを見ました。
s−okさんは、最後の校正の細かな作業のせいもあって、体調を壊されていて、私は申し訳ない思いでいっぱいです。また、大事にならぬか、心配でたまりません。
s−okさんのメールに、私が初めて彼にメールを書いた日のことが記され、出会いの感慨に触れられていました。著者からは編集者として、編集者からは著者として、出会いと信頼の上に本ができあがっていくことを、改めて感じたのです。
私は、返答のメールに次のように目に入った文章を引用しました。
<愛は尊敬の一種であり、ひとりの人間の他人の存在に対する感受性である、と。愛を示されることは、自分が関心の対象になっていると感じ取ることだ。自分の存在が注目され、自分の名前が記憶され、自分のものの見方に耳を傾けてもらえることだ。自分の欠点を大目に見てもらえたり、自分の必要とするものを与えてもらえたりすることだ。そして、そのような心遣いのもとで、わたしたちは花開く。>
そのような心遣いのもとに、「本」も仕上がっていくことを実感しました。
書名は、『もうひとつの愛を哲学する』(集英社刊)で、原題はstatus anxiety。まだぜんぜん読んでいませんが、帯などの文章によると、ステータスの不安は、愛の不在だと言いたいようです。なるほど、と思います。
作家が私に本をくださるために来社される、それは私のステータスなのですね。本の見返しに私の名前が記され、私は後日に敬意を込めた感想を送るでしょう。
s−okさんが、登山ど素人のわたしに山の本の編集をまかせてくださる、これもステータスなのですね。私は、s−okさんの偉大さを本に表します。
人の欠点をあげつらうだけの関係からは、何も新鮮なものは、生産されませんね。年末に、今年人の欠点をあげつらう場面の多かった私のダメさを反省し、来年も今までのステータスを大切にし、また新しい「未知の道」を歩んでいこうと思います。
どうかよろしく、来年もご指導ください。お便りも、楽しみに待っております。
よいお年を!(お)
21日(水)『誰も知らない丹沢』を校了しました。こちらの詰めが甘く、校了間際になって「あれ!」という箇所が出てきて、s−okさんに前日の夜遅くに問い合わせたり、翌日は1時間おきにメールをチェックして頂いたりと、とても細やかな対応をしてくださり、感謝しております。寝不足になられていたら申し訳ありません。
校了は、印刷所に校了紙と修正データを届けたのですが、1時間後にチェックを終えた印刷所の担当者から、「愛読者カードの『くだれば』は『くだされば』の間違いですかね」という電話があり、青くなりました。他にも、カラーの地図で脱字を発見されてしまい、恥ずかしいです。
この担当者は他の本の時も、すごく重要なミスを何度も救ってもらっています。風人社の最後の防波堤(言葉の使い方がおかしいかもしれません)のようになっていて、安心感があります。もっときちんとしなくてはと反省はしているのですが・・・。
こちらが終わったと思ってほっとしているときに、この担当者から電話があると、そのたびにドキドキしますが、製品になる前で本当によかったとあとになっていつも思います。
カラーの地図部分は、会社のプリンターで出しているのとは違って、色校正はかなり美しく、感動と同時にとても嬉しくなりました。
17日(土)トーハンに委託で戻ってきた『なぜ歩くなぜ祈る』の返品を車で取りに行きました。(宅配で送ってもらう場合1万円以上かかると言われたため。冊数が想像出来ますね)
23日(木)「栄養学」の本の初校を出しました。
24日(土)「東京造形大学研究報」の初校を、原稿を頂いている方の分の発送が終わりました。
というように、かなり盛りだくさんでしたが、なんとなく一区切りを迎えられました。最近あわただしく、通勤ぐらいしか体力の消耗(主に歩く、走る)をしていないため、ストレス(体の)がたまっているみたいです。すごく長く歩きたい欲求があり、年内に大山街道の長津田→厚木に行きたいと思っています。全く訪れたことのない場所なので、とても楽しみです。(こ)
これから年末いっぱいは、「栄養学」の本と、例年の「造形大学研究報」(年刊)の大容量の組み版作業に集中です。それから、「未知の道シリーズ」第2弾にも取りかからなくっちゃあ。もう一つ、とても大事な弊社の著者の本が、秋から置き去りです。叱られます。
しかし、今年は、『誰も知らない丹沢』がすっきり年末刷了で、気持ちのいい年末・正月を迎えられそうです。
栄養学豆知識 暦上の年齢と生理的年齢の個人差は、60歳を超えると急激に大きくなるそうです。60歳でプラスマイナイス10歳、70歳で15歳、80歳で20歳ですから、80歳で60歳の体の人と、すでに100歳の人がいるわけです。だから、80歳で山を歩ける人がいるのですね。あなたはどうですか。
豆知識もう一つ タバコは止めたけど、酒は年々深酒になってきて、私の健康に関する心配事は、「飲酒量」のみです。「栄養学」の原稿にも、1日1合ぐらいが適量とあるのを、いやな感じで読み飛ばしていましたが、いやあ、もっと困った記述に出くわしました。
アルコール分解の遺伝子による個人差で、盃一杯で生命の危険に面する人もいれば、日本画家横山大観は、毎日ご飯を食べずに、朝・昼・晩と日本酒を合計1升飲んでいたそうです。それで90歳という長寿でした。お酒だけで1800キロカロリーを摂ったと書いてあるので、1升=10合で、1合徳利1本は180キロカロリーかあ、などと考えながら、頭の隅で「今夜は安心して酒が飲めるぞ」と思ったのでした。(お)
出勤中の電車内で、「栄養学」の原稿第9章「高齢者」を読んでいたら、「テロメア回数券」の話が出てきました。
人体の細胞の染色体両端にあるテロメアは、50回しか分裂できないため、期間ではなく、回数の消化によって、老化・寿命が決まってしまう、のですって。たとえば、ウイルス肝炎にかかると、肝細胞の分裂が早まり、テロメアが尽きて肝硬変→寿命というように、いちばん早く回数券を使い果たした臓器の寿命から、老化や死ぬことになるのだそうです。
これが、人間が不老不死でない理由なのだそうですが、長生きができるのは、細胞の分裂回数を少なくするような栄養や環境を心がけなさいと、今日の原稿は教えてくれたのでした。
『誰も知らない丹沢』は、先週末、予定どおりいよいよ再校正の全ページを出校し、著者s−okさんにお送りしました。本文は予定より8ページ増となり、168ページに最終決定しました。編集日誌をご覧下さい。(お)
版画版「○危」を作成しました。版画を彫る作業はとても楽しかったです。『(s−okの) 誰も知らない丹沢』本書自体の作業もいろいろと滞っているにもかかわらず、こんなことをしていてよいのかどうか。しかも使ってもらえるかどうかもわかりません。
こちら(こ) |
「栄養学」のかなり専門的な教科書の編集を手伝っていて、毎日少しずつ原稿整理をしています。ちょっとしたアイデアを思いついたのですが、そのおかげで仕事のボリュームが増えました。でも、自分自身のために役立つ作業なのです。栄養学の知識も学び始めるとびっくりしますよ。例えば、体重60kgの人が、全く何も活動しない平静な状態(基礎代謝基準値)で、1分間に消費するエネルギーは1kcalなのだということをご存じでしたか。 今日、会社の隣のスーパーで購入した「カニシュウマイ」は、1粒36kcalだということです。つまり、この1粒で36分間生き延びられるのです。(お) |