総合出版・編集プロダクション 「ホントに歩く東海道」

姫街道について

姫街道とは

姫街道は、静岡県磐田市見付愛知県豊川市御油を結び、浜名湖の今切渡しを通らないルートです。
江戸幕府道中奉行管轄の東海道脇往還です。
脇往還とは、伊勢路、佐屋路(佐屋街道)など、幕府道中奉行の支配下にある、五街道に準じる街道です。
姫街道の正式名称は、「本坂通(ほんざかどおり)」
「ホントに歩く東海道 別冊 姫街道」では、本道を静岡県磐田市見付と愛知県豊川市御油を結ぶルートとしました。その間にある、安間~市野宿の「安間道」、浜松宿~三方原追分の「浜松道」、吉田宿~嵩山宿(和田)の「吉田道」も、東海道と姫街道の本道を結ぶので、これらも姫街道と呼びます。

姫街道ルート図◎姫街道本道 御油(東海道合流)〜嵩山〜本坂峠〜三ヶ日〜三方原〜市野〜池田道分岐〜池田近道〜見付(東海道合流)
◎安間道 池田道分岐〜安間(東海道合流)
◎浜松道 三方原追分〜小豆餅〜和地山〜浜松宿(東海道合流)
◎吉田道 吉田宿(東海道合流)〜牛川〜石巻〜和田(姫街道本道合流)

 

なぜ姫街道なのか?

このロマンチックな響きの名前の道、「姫街道」というのは、どうしてなのでしょうか。
姫街道の名称由来にはいくつも説があります。

①女性が新居の関所の厳しい取り調べを避けた。
②新居・舞坂の危険な渡船を女性が避けた。
③新居関所を別名今切関所といい、今切が不吉な言葉なので女性が避けた。
④「ひなびた」「ひねた」街道
⑤東海道を男性に、脇街道を女性に見立てて、「姫」とした。
などです。
今は「姫街道」という呼称が定着し、国道257号や362号の通称も姫街道になっています。

気賀宿街道筋

気賀宿を通る姫街道

姫街道の歴史

浜名湖の北側を通る姫街道は、約60㎞、浜名湖の今切れ渡しと新居関所を迂回するルートですが、気賀にも関所がある上、峠越えもあり、「姫」の名とかけ離れたハードさもあります。しかし、川留めも少なく、渡しを避けることができるメリットは大きかったのでしょう。
古代には「二見道(ふたみみち)」とも呼ばれ、万葉集にもその名が出てくる古い道でした。
この道は宝永4年の大地震で今切渡船と新居関所が大きな被害を受け、東海道が通行不能になったことで多くの人が姫街道を通るようになりました。宿場や問屋などの宿場機能が東海道本道に比べて整っているわけでもなかった姫街道の宿場は、急激に増えた通行人や荷物に悲鳴を上げました。大地震の復旧後も、東海道本道ではなく姫街道を通る人が多かったため、両街道の宿場は困窮し、幕府は姫街道の通行を禁止しました。江戸後期では、池田近道(市野宿西の池田道分岐~池田の渡し~池田宿~見付宿)、安間~市野宿のルートは廃れ、浜松宿~三方原追分のルートが主道となりました。

気賀関所(再現)

気賀関所(再現)

姫街道はどんな人が通った?

主要な道だけあり、いろいろな人が通っています。徳川家康はじめ秀忠、家光の将軍。また、享保年間に8代吉宗に献上されたベトナムからやってきた象も通りました。引佐峠への急坂に「象鳴き坂」の名が残ります。また、吉宗の生母である浄円院や13代将軍家定の正室、天彰院篤姫など、姫街道の名にふさわしい人たちも通りました。

姫街道を通った象

象も通った?!

姫街道を歩きたい方は

ぜひ「ホントに歩く東海道 別冊 姫街道」を手に歩いてみてください。山あり谷ありの魅力的な道は、何度でも歩きたいという熱いファンの多い道です。東海道歩きを、途切れることなく、つなげましょう!

ホントに歩く東海道 別冊姫街道

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