日 本 書 紀 史 注
山田宗睦 全注解

日本の代表的古典「日本書紀」

日本書紀は、なぜ、どのようにつくられたか?
原文の一字一句を詳細に検討しながら、紀作者のメッセージまでも読み取る試み。
つくられた順序をあきらかにして、作為と史実の別をたしかめ、全く新しいテキストの読み方を提示する。
そしてそれは、日本の成り立ち、日本とは何か、を考える原点となるであろう。

 

山田宗睦(やまだ・むねむつ)

<略歴>
1925年下関生まれ。幼少期を下関、稚内、金沢、函館で過ごし、水戸高校を経て、京都帝国大学文学部哲学科を卒業。1995年まで関東学院大学教授。 著書、『山田宗睦著作集』『魏志倭人伝の世界』『異志倭人伝』『わたしの日本誌』『道の思想史』『花の文化史』『ヤポネシアへの道』『旅のフォークロア』『神々と天皇』など多数。


最新・最大の研究基本図書として
◆各地中央図書館、及び、大規模図書館はぜひお揃え下さい。
◆大学総合図書館、並びに、関連学部図書館では必備図書です。
◆関連諸学の研究室、並びに、研究者個人もご購入を検討して下さい。

先行の日本書紀注釈書、多方面にわたる分野の新しい研究成果をふまえ、一字一句の詳解を試み、まったく新しいテキストの読み方を提示します。 専門研究者、またこれから研究を始める若い人の、必備の図書として刊行します。

2005年6月現在、巻第四まで刊行中です。それぞれの巻については、下記のhpをご覧ください。
日本書紀史注 巻第一 神代上

日本書紀史注 巻第二 神代下

日本書紀史注 巻第三 神代上

日本書紀史注 巻第四 神代上


(本書内容案内より)
<刊行にあたって> 山田宗睦
『日本書紀史注』の特色
本書の刊行に期待する
(田村圓澄氏・青木和夫氏・上田正昭氏)


<刊行にあたって>山 田 宗 睦

 長い人生だった。
 はじめて日本書紀を読んだのは、一九四一年だった。じつに五五年、半世紀以上まえのことだ。旧制の水戸高校で、古事記をテキストに、古典研究のクラブが発足した。その参考にと書紀(岩波文庫版、黒板勝美編)を読んだ。
 沢山の仲間がいたが、半世紀たってみると、それぞれの人生を歩いていた。大河原太一郎は農水省事務次官から政界に出て農水相になった。相良亨は東京大学教授になって、近世儒学の思想を追った。西銘順治は政界に出たのち沖縄県知事となった。池ノ谷吉春は紙パ労連委員長として労働運動に生涯を過した。諸沢正道は文部省事務次官になった。松尾尊允は会計検査院総長になったが、先年死んだ。相良亨と私のほかは、古典を離れ、それぞれの人生を送った。
 彼此合わせみると、古典を読み通すのも人生との思いが、しみじみと湧いてくる。
 日本書紀は、いま、日本人からいちばん遠い書物の一つかもしれない。かつて、日本の神話、ギリシア神話という文庫本二冊を作ったが、ギリシア神話の方が、二倍版を重ねている。だから日本書紀の側に身を置いたのかもしれない。ふり返れば、わが人生は、たいていは少数派の方に身を寄せていた。
 そうであっても、日本書紀の弁護をするつもりはない。むしろ日本書紀の作者−−それは古代律令官僚の修史局−−を向こうに廻して、一つ一つ、歴史の偽造をただしていきたい。そして、偽造の皮をはぎとったとき、その下に、みずみずしい、私どもの先祖の歴史が姿をあらわし、そこまで読みとってはじめて日本書紀がわれわれの古典になるのだ、ということを、あきらかにしたいのである。
 古典を読む、あるいは温故知新というのは、そういうことではなかったか。だから古典、日本書紀を読むことが、人生の歩みそのものと重なるのである。
 とはいえ、注釈だから、議論、論争一点ばりはさけて、一字一句とばすことなく忠実、厳正に、ときに典雅に、ときにひょうげて、注解していく。紀三十巻の一字一句の全注釈は、わが人生に余る大事業だ。ふして皆さんのお力ぞえをお願いしたい。

   一九九六年七月


『日本書紀史注』の特色

原文
卜部兼方・兼右本を底本に、日本古典文学大系本・日本書紀が校訂したところ、を原文とした。ただし返り点をつけ直した所がある。又新漢字のあるものは遠慮せず新漢字を使用した。少しでも現代日本人に違和感のないものにしたかったからである。その反面 、ふつう見かけない旧い字体の文字は、忠実に作字してある。

試訓
古訓は、平安初期の日本語に近づける努力で作られた。このためその古文を現代語に訳すと、それで紀を読んだつもりになりがちだった。そこで原文に忠実な現代語訓みを試み、二重手間を省くことにした。原文を正確に現代訓みにしながら、同時に読みやすさに配慮した。もちろん新仮名づかいにしてある。

古訓
古訓は、1,000年にわたる沢山の紀伝家たちの知的努力の所産だ。むげに無視できない。そこで注釈の見出し語の下に、必ず大系本の古訓をいれることにした。これによって、読者が古訓をも参照できるようにしたのである。

注釈
一字一句について、文字の意味はもちろん、その語句があらわす事・物について、歴史学、考古学、歴史地理学、神話学、地名学、博物学など、多面 的、重層的に注釈した。はじめて日本書紀を読む人でも、この注釈によって、書紀が本当に語っていることを、理解できるよう心がけた。

解釈
一字一句、一つ一つ注釈を重ねていくと、ある段階で、そのつみ重ねが、日本書紀についての、まとまった見解になる。それを、従来の学説とつき合せて、日本書紀理解の要点として、解説した。注釈よりも、一歩ふみこんでいるので、解釈としたが、これは神代(巻一、二)に集中している。

索引
各巻毎に索引をつけた。これまでの書紀索引を参考に、より簡略でシャープな索引を心がけてみた。


本書の刊行に期待する

田村圓澄氏(九州大学名誉教授)……<壮挙の無事成就を祈念>

 『日本書紀』三十巻は神代史から持統天皇紀までを収める。つまり倭国の誕生から律令国家成立までの編年史であり、そして日本ではじめてつくられた歴史書である。これにつづく『続日本紀』四十巻は、記述の信憑性は高いが、内容の面 白さは『日本書紀』に及ばない。なぜなら『日本書紀』は倭国の成立、すなわち天照大神?天皇とその統治権の由来を説く神話を開巻劈頭に掲げ、また天皇家と諸豪族との関係、朝鮮半島諸国との交渉、仏教などの先進文化の伝来とその受容過程などについて、巨視的に、あるいは微細に叙述しているからである。日本民族と日本国家形成期の「動」の歴史が鮮烈に描かれている。『日本書紀』の前半部は「作為」で満たされているが、その内容は「史実」でないとはいえ、作為そのことは「歴史」の事実である。『日本書紀』の魅力は、「作為」の中から「史実」を掘りおこすことにあるといえよう。朝鮮半島から中国本土に及ぶ舞台のひろさも、『日本書紀』の記述を生彩 あるものにしている。
 このたび山田宗睦さんが一念発起し、『日本書紀』全巻の注釈にとりくまれることになった。還暦を迎え、世紀の大事業にたち向った山田さんの気概に圧倒されるが、いっぽう山田さんが強い問題意識と、多方面 への関心をもち、そして学問的にも誠実な方であることの安堵感と期待感がある。
 日本の古代国家構築のプロセスを語る『日本書紀』は、山田さんの一巻一冊の注釈書により、今、新しく蘇り、政治・外交・宗教・思想・芸術・民俗などの視点を通 して、読者に斬新な話題と知見を提供するであろう。また倭=日本の「歴史」の事実を、各人に解明する興味を与え、その方法を暗示するであろう。
 山田さんが長丁場の難路を自愛され、そして前人未踏の壮挙を無事成就されることを祈りたい。

青木和夫氏(放送大学教授)……<広い視野に期待>

 私は注釈という仕事が好きです。いぇ、好きだというのは少々苦しまぎれでして、大学を出てから助手・助教授・教授とかを勤めてきた四十年ほどを振りかえると、学問上の論文は片手で数えられるくらいしか書けず、先生・先輩や若い友人たちと一緒に日本の古典を注釈する仕事に費してしまったというだけのことです。
 古典は『日本書紀』『律令』『古事記』『続日本紀』という順に岩波書店から本になり、昨今は『万葉集』にも首を突っこんでいますが、どれも一部分の分担に過ぎません。しかし『日本書紀』では雄略・斉明・天智・持統の諸巻、『律令』では名例と官位 ・職員の諸篇、『古事記』では序文と下巻などと、重要な巻々を割りあてられたのは偶然とはいえ、その古典全体を見渡すのに役立ちました。
 忘れられないのは『古事記伝』を舐めるように読んでいたときの本居宣長のセリフです。古典は読んでいるだけではダメ、自分で注釈してみなければ理解できない、と言っています。全くです。戦争にしても大所高所から見渡しているだけではダメ、戦野を舐めるように匍匐前進し、時には何昼夜も泥濘の塹壕に浸って考えつめなくては、理解できません。
 今度、風人社から『日本書紀』全巻の注釈を順次刊行されることになった山田宗睦氏には、四十年ほど前に始めてお目にかかりました。以来、氏は京大の哲学科の御出身だけに、極めて幅の広い分野で学問を掃蕩され、社会的にも発言され実践されていて、研究室の暗い片隅で古代の文献を読むのに終始していた私などには遠い眩しい存在でした。しかしその山田さんが、近年は古典の注釈を始められたことも仄聞していましたから、私としては、若主人が諸国へ学問旅行に旅立たれて以来四十年ぶりに帰ってこられるのを、陋屋『日本書紀』の留守番の老爺が首を長くして待っているという気分です。

上田正昭氏(歴史学者)……<『日本書紀』史注に期待する>

 山田宗睦さんの古代史にかんする秘められた情熱とその造詣にはかねてから注目してきた。山田さんが東大出版会の編集長であったころからの顔なじみで、読売新聞社(大阪)文化部が企画して、一九七一年の三月九日から連載のはじまった座談会『日本の道』には私からご参加をお願いした(一九七二年の六月に、そのまとめが講談社から出版されている)。一九七九年四月、今度は山田さんからの依頼があった。日本古代史をめぐって、森浩一さんと私をまじえての鼎談を行なおうとの企画がそれである。同年の七月、京都花背の美山荘で具体化した鼎談が、一九八〇年の七月に刊行された『日本古代史』(筑摩書房)である。『道の思想史』(講談社)や『花の文化史』(読売新聞社)などをはじめとする著作によって、思想史への深い想いを感得してはいたが、司会をつとめる山田さんのなみなみならぬ 問題意識には学ぶところがあった。
 その後の山田さんの多年の蓄積が開花して、『日本書紀』三十巻の史注を公にされるという。『日本書紀』の研究書は、谷川士清が延亨四年(一七四七)に著わした『日本書紀通 証』、天明五年(一七八五)にその序を書いた河村秀根・益根父子の『書紀集解』、明治三十五年(一九〇二)に飯田武郷が公刊した『日本書紀通 釈』などを筆頭として、数多くの先学の論著を数える。
 だが近時の研究成果をもりこんでの通釈はまだ結実していない。『日本書紀』全巻の史注をめざす山田さんの労苦は想像を絶する。その志やまことに壮大というほかはない。おそらくユニークであざやかな史注がおりなされるにちがいない。その努力に敬意を表すると共に、そのみのり多きことをを期待する。

(推薦者の肩書は1996年当時のものです)


◎『日本書紀史注』にご関心のある方は、ぜひ、『まち・みち・ひと・とき』もお読み下さい。

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