総合出版・編集プロダクション 「ホントに歩く東海道」

山田宗睦著 日本書紀の研究ひとつ(風人社)

日本書紀の研究ひとつ
ジョン・ロックのように日本書紀を読んだなら

山田宗睦著

日本書紀の研究ひとつ 表紙画像

発行:風人社
仕様:A5判 上製本784頁
定価:本体12,000円+税
2016年12月17日発行
ISBN9784938643737 C0021

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日本書紀はなぜ、どのようにつくられたか。
書紀解釈の通説を、ことごとく覆す。
謎の解明に、驚きの新解釈。

初めて日本書紀を読んだ昭和16(1941)年から、じつに75年目、日本書紀の読解に没頭して、90歳となった著者が、今、その研究「ひとつ」を、集大成して刊行。

日本書紀は巻数(天皇の代)の順に読むのではなく、作られた順で読むと、紀の作為が解明できる。アマテラスは日本国創世神話の神ではなく、持統3(689)年に誕生(創作)した。持統天皇は自分の尊厳を高めるためにアマテラスの名を自分の名とした(高天原広野姫)。日本書紀の一部は、九州筑紫の倭国創世史を組み入れた。大化の改新はなく、王朝が交代した。書紀は、誰がいつ、どんな順序で作ったのかを解明する。

著者紹介
山田宗睦(やまだ・むねむつ)

1925年生まれ。
幼少期を、下関・金沢・稚内・函館ですごし、1941年旧制の水戸高校(文科乙類)に入学、日本書紀にであう。1946年、京都帝国大学(文学部哲学科)を卒業。編集者、評論家、大学教師をへて、1985年に還暦をむかえ、日本書紀の注釈・研究だけをすることにした。そして30年、90歳、2015年1月に本書の原稿を渡したが、制作中つぎつぎと書きたしたので、刊行まで二年を費やした。なお書きたすことがあり、雑文として手もとに書きとどめている(伊勢の物語、其北岸狗邪韓国考など)。
弊社で、『日本書紀史注』『まち・みち・ひと・とき』「何のための知識シリーズ」などを出版。2016年12月『日本書紀の研究ひとつ−ジョン・ロックのように日本書紀を読んだなら』発行。2017年6月『雑文(くさぐさのふみ)一』を発行。

本書の構成

本書は前・後篇の二篇からなる。

前篇は、アマテラスがいわゆる神代の「神」ではなく、六八九年(持統三)に公表された政治的な産物であることを証明し、そうと知れば、日本(書)紀がどのように作られたのかをも明らかにできることに、及んでいる。
前篇のいま一つの論点は、私たちが学生の頃からの通説である大化の改新は存在せず、また戦後の大化改新否定論が替って唱えたいわゆる乙巳の変もまた虚構であり、実態すなわち史実としては、ソガ王朝から天皇王朝への王朝交替であった、ということにある。
加えて、ほぼ発掘調査の完了した飛鳥浄御原宮についての通説を批判し、この宮に大極殿はなかったことを、最終章「覚え書」一、二で論じ、ひいては宮跡三層の遺構の比定についても異論を述べている。

後篇は、すでに一七年前に刊行した、古代史と日本書紀(一九九九年)の再録だが、日本(書)紀の巻第七、八、九の中に、倭国史を日本国史(日本〔書〕紀)に書き替えた部分があることを指摘した。それは、倭国がどのように形成されたのかに復元でき、そうと知れば、倭国はヤマト(大和)ではなくチクシ(筑紫)に存在し、その倭国創世史が、いわゆる天孫降臨「神話」と、七、八、九の三巻の部分とに書き替えられたことも分かってくる。

後篇の二・三つ章から前篇の四つ章にかけて、紀を作られた順序で読むことを提唱した。山片蟠桃・津田左右吉流の、紀を叙述(巻数、頁数、天皇の代)の順序で読解し、どこかに確実・不確実の画期点を打つ読み方では、紀の作為を超えることはできない。紀の各級レベルで作られた順序を見出しえたとき、紀の作為は明らかとなり、紀を如実に読みぬいたことになる。この点の解明は本書では、ほんの入口しか示していない。切に後考を俟つ。

おおよそ上記が、わが紀伝(日本〔書〕紀研究ひとつ)の枢要である。
(『日本書紀の研究ひとつ』まえがきより)


本書の目次

(怒濤の目次。本書では、小さな字なのに目次だけで12ページあります)

前 篇  私の紀伝

一つ章 持統三年八月条 二三頁
    --アマテラスの誕生と伊勢神宮の成立

日神に立ちどまる 日神はヒルメ 持統三年八月条の井上光貞の解 イザ二尊の子の代からは神世でない 三年八月の政治史的な背景 伊勢神宮の成立は持統六年三月 筑紫申真『アマテラスの誕生』 神と人ともに失脚 アマテラス誕生と神武・崇神垂仁紀

補論一 伊勢神宮の成立、二説 三四頁
田村圓澄説 筑紫申真説
補論二 天神地祇 四一頁
天神地祇は紀中に15度 天神地祇の紀中分布は
天武七年正~四月条の復元 天神地祇の原義と列島人の受容四態
補論三 天社地社 四八頁
天社地社は紀中に4度 天社地社は書紀の造語 天社国社は持統期二次本に 天武紀天社地社記事は造作 仏教史・神祇史の公的発端 欽明一六年二月条 初代神祇伯は中臣朝臣大嶋 神祇史の画期は持統の時代
補論四 天神寿詞 五四頁
天神寿詞 大倭根子天皇 神漏岐・神漏美 中臣朝臣大嶋 天社国社 天壊無窮の神勅と天神寿詞 中臣氏はいつから神祀と関わったか 〔本書末に補論五タカミムスヒ・概論〕

二つ章 神武紀 六三頁
    --天武期の一次本と、持統期に書き加えた二次本との複合

いわゆる東征の勅 神武の諱は彦火々出見 神武戊午年六月条 天武期一次本と持統期の二次本 二様もの東征径路 戊午年九月条

一次本と二次本との接合の例(巻第三、戊午年九月条) 七二頁
一次本・二次本用語対照表

巻第三、戊午年四・五月の一次本の復元 七六頁
巻第三、戊午年六・八月の二次本の復元 七八頁

三つ章 伊勢神宮成立の証 八三頁
    --巻第五・六の伊勢神宮成立記によって、巻第三十の伊勢神宮成立史を証する

皮肉な史料事実 ヤマトクニタマってだーれ 崇神紀年月日の書き方 崇神紀の疫病記事 オオモノヌシの神威譚 オオモノヌシがワープする 崇神紀の一次本と二次本 崇神紀と持統紀の神配置図 アマテラス誕生の史的背景 武則天と持統 東国の経営と伊勢神宮

巻第五・崇神紀四~八年の一次本、二次本の復元 九四頁
一 復元一次本 九四頁
二 復元二次本 九六頁

神と人補遺及安天下・天下太平 九七頁
神と人補遺 天下太平と泰平 泰平と聖帝仁徳
史実としての天下太平 七年八月条で一・二次本が接合

四つ章 応神五世の孫 一〇三頁
    --作られた順序で書紀を読む

山片蟠桃・津田左右吉流の読法 作られた順序での紀最大の部立は三 某天皇何世の孫を検証する系図 井上・岸の雄略朝画期説は架空 雄略と武烈はプチ予定調和 胎中天皇の呼称が証明 1部と3部とをつなぐ工夫 大臣・大連の共治は無かった 倉本一宏、遠山美都男の大連否定説 紀の即位記事の形式二つ 紀即位記事表 後漢書型と史記・漢書型と 作られた順序の精細化

五つ章 書紀1部の論点二、三 一一九頁
    --その成立と述作者

いまのところでの三部構成 作られた順序での推古一三、四年条 大山誠一の解読 ?部の四区分 一つ・擬神話群巻第一、二、三 二つ・欠史八代、巻第四 名の二形式とヤマトネコ 三つ・伊勢神宮創建偽史の巻第五、六 最初の紀作者平群臣子首 最初の紀作者中臣連大嶋 中臣の天神寿詞 山田史御方の登場 四つ・倭国史の紀への書替(巻七、八、九) 仲哀八年正月壬午条 景行一二年九月戊辰条 剣・鏡・玉を掛ける儀礼 Xは三代目のヒコホホデミ 阿蘇山以北の土蜘蛛を討つ 一代目ニニギは博多湾岸日向を平定 二代カシツヒメ筑紫を平定 倭国創世の聖家族 残った蛇足の応神紀 百済三書と作られた順序三部の対応 神功・応神紀一体を証する語は三韓 同、貴国

六つ章 持統五年正月丙戌条 一四五頁
    --筑紫史益のこと

筑紫史益が書き替えた 青木和夫の丙戌条解釈 今に二九年が意味すること 倭国滅亡と筑紫大宰府 益の本拠地は筑紫 丙戌条は官位相当制で見るべきか 筑紫史益の今の官職名 天武・持統紀の日本紀編纂記事 元嘉暦・儀鳳暦の併用

補論 倭のこと日本のこと 一五九頁
倭、日本なぜ共にヤマトと訓むのか 斉明紀七年条と天智紀斉明七年条 伊吉連博徳書 別倭種と倭客との関係 博徳書が伝える唐三代高宗との謁見 韓智興とは何者か--先倭と後倭と 「今年」白雉五年説は無理 斉明七年条の真実 ふたたび旧唐書 別倭種後日譚

七つ章 「記紀神話」は神話ではない 一八一頁

その一 高天原「神話」の創出過程 一八一頁
神代の巻など無い 神世はイザナキイザナミまで 村山七郎がイザの語義を解いた イザ二尊の本拠は博多湾岸 アマテラスをイザの子にする長い過程 いわゆる「三貴子」の生誕 注・ヒルコ・ヒルメ 天下之主者は決まらなかった ここでも筑紫史益が… イザ二尊は兄妹婚神話 第四段が古態三神を新態三神に変換 イザナキとスサノオとの関係 晴れて主役のアマテラス ちゃんと随伴の藤原の氏神二神 第五段の主題は誓約、書は四つ 玉には渟名井 天孫は海北道から

補論 泉津醜女考 一九七頁
第四段第六の一書に泉津醜女 漢墓と画像石--長廣敏雄・林巳奈夫 沂南北寨漢墓後室の神怪図

その二 高天原から葦原中国へ 二〇三頁
第六段の天津罪と新体の文 嘗と食との一体は天武五年以降 葦原中国への意識 補注・宣長の見当違い イザナキと諸神 第六段の奇妙さ--天上と地上が混在 第七段各書の小異 哀れなスサノオよ 西出雲の須佐 大蛇・草薙剣・日本武はみな天武期以後 定型化される咸蒙恩頼の句 定型句は日本書紀を皇統史化した

補論 草薙剣考 二一五頁
草薙剣はスサノオの遺産か 剣の名は終始草薙剣 草薙剣は天武に始まる 剣の所在地 草薙剣は日本国天皇之威の象徴 三種の宝物の背景

その三 天孫降臨「神話」の史実 二二七頁
アマテラス、タカミムスヒ折衷系譜 天孫降臨は神話ではない 日向の襲の高千穂とはどこか くし日の二上の天浮橋とはなにか 吾田の長屋の笠狭の碕 Aが日本書紀Bは倭国史の文章 天上では皇孫地上からは天孫と呼ぶ 第一の一書の天神はアマテラス 紀中全ての天神は六五度で3部にはない 巻第一の天神は抽象的 巻第二の天神は紀中最多で二五度も 天界ではみな天神天下では独り貴種 アマテラスと天とで「高天原」ではない 原第一の一書と現第一の一書 中臣朝臣大嶋が原一書を現一書に 大嶋の天神寿詞こそ中臣祝詞の原型 以不という唐代の俗語 第八段に藤原祖神を入れたのは史 第二の一書で高天原が登場 第四の一書で大伴が来目部を率いて登場 火中出産のふしぎな系譜 隼人の始祖が弟の天皇家の祖に臣従 第九段は雄略二年条語在別巻に該当

八つ章 皇極三年冬一一月条 二四九頁
    --ソガ王朝が存在した

ソガ氏の家=宮を紀は記録 皇極元年四月癸巳の条 本営が甘橿丘で出城に畝傍山東と大丹穂山 平吉遺跡の遺構図から見る 飛鳥の羅域-相川嘉之の憶測 ソガ王朝の敵は西と南から

瓦の系列、二つ 二五七頁
その一 ソガ王朝の瓦当系列 二五七頁
坪井清足・瓦の語る寺院の歴史 飛鳥寺創建時の軒丸瓦
納谷守幸・軒丸瓦製作手法の変遷 大脇潔・瓦博士とその末裔達
その二 天皇王朝の瓦当系列 二六四頁
吉備池廃寺と孝徳朝 突然ですがJRの渋谷駅 花谷浩の「兄弟の瓦」
四天王寺の瓦 瓦系列の古代史的意味 和泉国和泉郡はソガ王朝勢力圏
神武軍が雄水門寄港の理由 茅渟県 茅渟道 足利健亮・和泉の計画古道
注・足利吉野考と万葉歌二七 王朝交替史の証瓦 大化五年三月戊申条を
検証する 先是・是夜・是日・是夕 あるいは別の記事の加工か 今来大
槻は飛鳥寺西槻 燒宮、背寺の陣か

九つ章 皇極元年秋七月条 二九一頁
    --大雲経は方等大雲経

大雲輪請雨経になった経緯 金光明最勝王経をもちかえった道慈 道慈による紀への加筆 大雲経と則天武后 観音・菩薩と道慈 転二読大乗経典一 つづいて悔過の語 本条の大寺は飛鳥寺を指す 本条で道慈が書替えた部分

補論 いわゆる仏教公伝も道慈の作 三〇四頁
さいごの紀作者・道慈 欽明六年九月是月条 天皇所用弥移居国 普天之下一切衆生 欽明一三年一〇月条 仏教公伝にしてはさびしい 金光明最勝王経による作文 仏教東流伝承による作文 無辺・無量・無上 以不は唐代変文に使われた俗語 敏達一三年是歳条 舎利信仰から仏像信仰へ 飛鳥寺に先立つ王興寺 飛鳥寺の舎利とその荘厳具 紀中の舎利 阿育王子塔と南朝梁の武帝 梁陳隋から則天武后までの舎利信仰 北斉→百済・王興寺→日本・飛鳥寺 百済の瓦博士と日本の瓦生

〔補遺〕 伊藤義教による吐火羅・舍羅(女・婦人)・達阿・墮羅女の解明

十つ章 皇 祖 考 三三一頁
    --天皇王朝の成立

皇祖・皇孫の初出 一般名詞としての皇祖使用 個人につけられた皇祖称号 視養という稀語にそれる 皇祖母尊についての諸注 この種の解は本居宣長から 特定個人を指す紀の皇祖・皇孫 皇御孫尊考 飾り立てた皇御孫尊 孝徳以後の皇祖・皇孫 始祖孝徳にふさわしい現象

十一つ章 アマノ一系 三四七頁
    --紀の中のある限定された天皇系

文武即位前紀 天之真宗豊祖父 天渟中原瀛真人 瀛はオホシアマ 日並知皇子 日並知の知に注意 某宮御宇天皇 御宇天皇の紀中の分布 続紀での御宇分布 天命開別 平城宮御宇日本根子 高天原廣野姫

十二つ章 蕩 滌 之 政 三六三頁
    --宮名・淨御原と素戔鳴の明淨心とを論じて、
      天武紀と「神代」紀との制作上の同時性を証する

蕩滌之政とは政治の浄化 祓除と誓約の場で濯除 濯除、祓除、解除 天武紀の解除 令制の大祓は二様 天武紀の祓柱奴婢は極めて古いか 淨の意識と祓柱の奴婢 天武期は淨の時代 「神代」紀の成立と天武時代

十三つ章 武内宿禰後裔系譜を疑う 三七七頁
    --古代氏族についての論考

天平勝宝三年の記事 許勢と巨勢 実在せぬ許勢・実在した巨勢 紀の武内系図A 紀の巨勢系三氏系図B 巨勢系三氏の続紀系図C 百済系帰化三氏の系図D 姓氏録の武内宿禰関係氏族 姓氏録の武内関連氏族の系図F 梅沢伊勢三の記・録近似説 梅沢の紀記氏族論 梅沢氏族論を批判する ?系図主義 ?新旧氏族認定の仕方 古代氏族論は天武二巻から 朝臣賜姓大三輪氏の大 松倉文比古説・大三輪は天武期 紀1部新興氏族か 大三輪をいれた四氏分布表 ざっと見て分ること 1部での四氏の姿 1部の中臣 1部の物部は石上系祖 3部の大連系物部氏 神武以来の大氏物部像 2部の石上系物部 1部の大伴は遠祖系 1部大伴は大連系 大伴連咋 大伴連長徳 壬申の乱での大伴吹負 天武期の御行・安麻呂 おきざりの大伴安麻呂 1部中臣も遠祖系中臣 中臣は3部に無縁 2部の中臣を枚挙する 孝徳期の中臣 中臣金 鎌足の名は紀に一度だけ 中臣氏は六世紀半ば以降(関晃) 中臣鎌子は12記事 大嶋は11記事 臣麻呂3 史は2 中大兄という名で何をしたのか 努力は紀中四度の稀語 虚飾にみちた鎌子記事 大嶋の記事は堅実 第二の紀作者中臣連大嶋 中臣氏の本拠 神事を掌ったのは大嶋が最初 万世一系的な氏族論

覚え書一 飛鳥の宮都論 四三九頁
     --併せて宮都と対応する七世紀半の東アジア史に及ぶ

営二宮室於岡本宮南一 宮都論とその発掘調査 飛鳥諸宮についての定説 岸俊男の小墾田宮復元 岸の復元資料の検証? 復元資料の検証? 復元資料の検証? 復元資料の検証? 小墾田宮は小墾田の家 岡本宮を巡る錯雑 岡本宮はどこにあったのか 最盛期の石神遺跡 中心区画だった西区画 西区画こそが斉明の岡本宮 難波宮東方官衙区の楼閣風建物 難波の浜楼は石神の東区画 これまでの宮都論 飛鳥以外の正宮 残る六宮 唐太宗の膨張主義 紀が伝える百済の情勢 宿敵高麗との歴史的な和解 つぎに高麗の泉蓋蘇文 親唐新羅にも政変 新羅政変・田比曇の乱 唐の圧力は日本列島にも及んだ 倭国は北九州 紀に唐が出るのは推古三一年 推古紀の外交記事 新羅、討つべきか否か 山尾幸久の誤解 六三〇年代(舒明紀)の外交記事 六四〇年代(皇極紀)の外交記事 筑紫大宰と馳駅 百済弟王子翹岐の来日 孝徳紀の外交記事 高向玄理 難波宮と遣唐使 最初の遣唐使 舒明・皇極・孝徳紀記事からの結論 宮の移動は外交の選択 白雉四年条は後代の加筆か 倭国問題 弟王子と兄王子 倭国に余豊・大和に翹岐 義慈王の太子は扶余隆 扶余豊は古王子 糺解は余豊、翹岐の行方は 前期難波宮は難波津と一体 真東西線の法円坂遺跡 飛鳥板蓋宮は 宮もまた搖れている 津田流文飾説は採らぬ 思いやり予言というべき注 板蓋宮・後岡本宮は無かった では1期遺構はなにか 1期遺構は北で20度西偏 小沢・林部説は採らぬ 岡本宮は焼けなかった 2期遺構は板蓋宮でない 天武期に大極殿は無かった 東南郭は殯宮 そして殯宮が残った アマテラスの奉宣も殯宮か

覚え書二 天武の殯 五三一頁
    --是歳、蛇犬相交、俄而倶死

天武が死んだ 南院は公的天皇の空間 北四分の一は内裏的な空間 内郭の中枢部は内安殿と外安殿 浄御原宮の内郭は天武一代かけて完成 松田敏行による建物の復元考察 内安殿が正宮 大津謀反記事は不審な点が多い 天武期の殯の純粋な形 誄で天武一代の治績が見渡せる 殯宮について検証する 天武期に大極殿はなかった 小沢毅・林部均説への疑問 浄御原宮の門(1西門) 浄御原宮の門(2東門) 小沢・林部説への反論 西門、大極殿にこだわって強弁 七世紀史の入口と中程と出口と 持統紀での天武殯記事 皇太子率公卿百寮人等 持統紀の誄は太政官高官たち 誄の終了と天武埋葬の奉宣 大内陵のこと 持統期の殯の多彩化(1無遮大会) 多彩化の2花縵 多彩化の3嘗 多彩化の4斎 天武一周忌の設斎は紀中五巻一五度 設斎は天武紀に4持統紀に4度 斎と設斎 設斎の斎 紀中の斎 多彩化の5奠 多彩化の6楯節 多彩化の7騰極・日嗣 蛇犬相交俄而倶死 文物之儀於是備矣

後 篇 日本書紀と古代史
     (一九九九年刊、古代史と日本書紀を再録)

一つ章 古代史の枠組み 五八一頁

名は歴史を表す 実在した初代天皇は誰 井上光貞・神話から歴史へ 和田萃・古墳の時代 高校の日本史教科書 画期としての雄略朝 画期としての応神朝 山尾幸久・日本国家の形成 画期としての磐井戦争 ベ・ウジ・カバネ

二つ章 書紀のヘンなところ 五九九頁

後・大宝令が日本書紀 作られた順序で読む 書紀のなかにへんな箇所が 周防の娑麼 三種の宝物の送迎儀礼 高天原と持統の名 玉・鏡・剣は北九州のもの Xの経路? Xの経路? 南九州の擬似経路 経路つながらず 熊襲・土蜘蛛・隼人 隼人の墓と官道 Xの進路・結論

三つ章 倭国創世史 六二九頁

天孫降臨のナゾ 日向は吉武高木遺跡の地 筑紫の日向の小戸 熊襲の正体 初代ニニギ 未亡人カシツヒメ 橿日宮の聖家族-Xはヒコホホデミ 倭国創世史 二人のヒコホホデミ 古代史の新しい枠組み 書紀の三部構成 天命・革命思想 聖帝仁徳 課役の免除はなぜ三年か 日本書紀制作四〇年の皇位継承 不改常典 暴君武烈 造作と文飾の区別はない 直系の皇位継承 元嘉暦・儀鳳暦

四つ章 書紀のズイから古代史のぞく 六五五頁

井上光貞・帝紀からみた葛城氏 紀によせる好感 紀を読むさいの箴言 帝紀・旧辞はなかった 倭の五王問題 天皇に比定する手法批判 ふくざつな思い 古代史の絶対年代はない 江田船山の大刀銘文 人物画像鏡の銘文 埼玉稲荷山の大刀銘文 大王は天皇以前の称号ではない 戦後の古代史の方法と枠組み

五つ章 はじめに百国ありき 六五七頁

普遍と特殊 分レテ百余国 旧唐書日本国伝を読む 日本紀編集中の遣唐使 毛人の国 諏訪 大ヤマト地域国家と継体 筑紫地域国家と磐井 吉備と出雲 氏族の問題 葛城氏は実在したか 大伴・物部との内乱? 葛城氏はなかった 奇妙に長寿な人物 ソツヒコの場合 戦後古代史への定礎 三〇年後 氏記事も逆に読んだら

六つ章 帝紀・旧辞は無かった 六九七頁

公理のような定説・通説 紀前記後説 記は「一種の文学作品」 紀は記を参照していない 記は紀と深い関係をもつ 記成立に通説的な梅沢 記が万葉にひかれたのは平安時代 日神とアマテラスの区分 北川和秀の新研究 紀の中のab二系列 「文献X」 論より証拠 幻の帝紀・旧辞 日本書紀の読み方

後篇・あとがき 七二五頁
補遺・前篇 一つ章 補論五 タカミムスヒをめぐってのこと(概要)
全篇・与太噺 七二七頁
付け書き 七七四頁

 

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