総合出版・編集プロダクション 「ホントに歩く東海道」

いとしき草花 四季の人びと

画文集 いとしき草花-四季の人びと-

和田静子著

itoshikicv

B5判  並製本 96頁  オールカラー
定価:2000円+税
2006年11月5日発行
ISBN9784938643263 C0071

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ただ美しいと感じた花を描きとめたものではなく、人の興味を引きそうにない自然のすみずみまで観察し、そこから美と不思議を拾い出してくる。
もしかすると、心臓のご病気で天性の感受性がさらに研ぎすまされているのではないかと思われた。  文章にも自然と人生についての、みずみずしい感動があふれている。(「本書刊行に寄せて」より抜粋) 藤田恒夫(新潟大学名誉教授・解剖学者)

著者紹介

和田静子(わだ・しずこ)

1930年飯田市生まれ。1948年旧制飯田高女卒。1953年結婚。1973年心臓病で療養生活に入る。1978年熊谷元一氏(写真家・童画家)に師事し、身辺の草花を描き始める。 著書画文集に『身近な草花・私の友だち』(1984年)同時代社、『身近な草花・私の友だち 第2集』(1990年)がある。 生命科学者の同人誌「ミクロスコピア」の巻頭に、1995年2月から2005年11月まで11年間、「いとしき草花」の画文を連載。

いとしき草花 絵はがき

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本書の目次

序にかえて    佐藤忠良

春らんまんの一尺四方
遥かなるブーゲンビリヤの花
しののめぎく
じゃが芋の変身
早春のなずな
天に昇った花しょうぶ
コスモスの咲く道
山のおみやげ
りんごの花
のかんぞうの思い出
異郷のあけび
窓辺の花ばな
からすのえんどう
むくげの花
秋くさの丘
どうだんつつじ
花だいこん
みやこわすれの記
藍のやかた
不思議な松
月下美人
山はぎの里
さざんか咲く頃
青雲のさくら
花と平和を愛した人 すいとぴい
桔梗のよそおい
紅葉と黒髪
菜の花 春のたより
森の仙人 どろ亀さん
秋風の中の源氏
さくらの虫くい葉 木枯らしの笛
波まくら 花屋の花
炎天下のコヒルガオ
大樹を慕って そばの花
続 大樹を慕って みょうがの果実
いいかげんな私 ぼけと水仙
桑園のおもかげ
マツムシ草
牧丹のくに
のうぜんかつら 海辺の夏
あじさい変化
南アルプス讃歌

 

本書刊行に寄せて

藤田恒夫(新潟大学名誉教授・「ミクロスコピア」編集長)

「初めておたよりを申し上げます。私は、1930年生まれの信州飯田市に暮らしております一主婦でございます」
こんな書き出しの便箋10枚を超える厚い手紙が、新潟大学医学部で(当時)解剖学の教授をしていた私のところに届いたのは、一九九四年一月末のことだった。差出し人は、この本の著者 和田静子さん。しばらく前に私が書いた『腸は考える』(岩波新書)を、面白そうだと書店で買って読んで、その感想を書き送ってくださったのだ。
遠い山の彼方の主婦が拙著を精読し、感銘してくださるというのは、著者として何とも嬉しいことである。「腸の中に雑草のように生き、偉大な能力を発揮している細胞に驚嘆」されただけでなく、研究者たちの奇妙な生きざまにも共感し、自分も大学の研究室に入ったような興奮を感じると書いておられる。
私が感謝の手紙を送ると、『身近な草花 私の友だち』(同時代社)という著書を送ってくださった。和田さんは、長年心臓を患って家庭で療養生活を過ごしてこられたが、身近な草や木の花に感動し、それを写生することに心の支えを見出しておられる。その指導をしてくださった熊谷元一先生のお奨めで、飯田市で個展を開かれ、その作品を集めたのがこの本であった。内容を見ると、ただ美しいと感じた花を描きとめたものではなく、人の興味を引きそうにない自然のすみずみまで観察し、そこから美と不思議を拾い出してくる、もしかすると、心臓のご病気で天性の感受性がさらに研ぎすまされているのではないかと思われた。文章にも、自然と人生についての、みずみずしい感動があふれている。
思えば、和田さんと私は、感激し走り出しやすいところが共通しているようだ。私はにわかに思い立って、自分が数年来編集していた生命科学者の同人雑誌「ミクロスコピア」に、和田さんの絵と文を連載させてほしいと、唐突なお願いをした。和田さんは、驚き迷いながらも、受けてくださった。
こうしてこの雑誌の巻頭の見開きに、和田さんの「連載・いとしき草花」が誕生した。この雑誌は、医学と生物学の研究についての硬い記事のほかに、研究者が遊びや趣味のことを語るコラムもあるので、和田さんの草花の画文は、それほどの違和感はなかったとは言え、科学好きの家庭の主婦が、大学の研究者と一緒に「同人」になったわけだから、和田さん自身も緊張され、読者も大いに注目したのだった。
しかし、新連載「いとしき草花」は、硬くなりがちな科学雑誌になごやかな雰囲気を添えるページとして好評を博するようになった。和田さんは雑誌の刊行の季節に合わせて花を選び、ある時は力強く、ある時は優しく、花の心になって描き上げた。文章は伊那谷の自然のことから、忘れがたい人や感銘を受けた本のことなど、取材や勉強のご苦労が偲ばれる充実した内容であった。和田さんに毎号感想と激励を寄せられるファンの方々の中には、佐藤忠良(彫刻家)、串田孫一(詩人・哲学者)など、高名な芸術家もおられた。
このユニークな連載が、11年(1995年2月から2005年11月まで)続いたことは、和田さんのご精進によると同時に、この雑誌の読者の熱い支持によるものであった。それにしても和田さんには、思いもかけない舞台に引っ張り出して長年月ご苦労をおかけしたことを、編集者として心からお詫びしたい。
このたび、その連載記事が一冊にまとめられて出版の運びとなったことは、まことに喜ばしく、著者 和田静子さんに心からお祝いを申し上げる。
願わくはこの本が、連載時と違う読者層にも、暖かく迎えられることを。

 

あとがき

この本は、生命科学雑誌「ミクロスコピア」(季刊・藤田恒夫編集長)に、1995年春号から2005年冬号までの11年間にわたり連載しました「いとしき草花」(画文)を単行本にまとめたものです。
「ミクロスコピア」発表時と同様に、B5判の二ページ(一見開き)ごとに連載の一回分が収まっております。雑誌と違うところは、縦書きの右開きになったことです。必ずしも草花に関わる文とは限らず、私の日頃感じていること、人への想い、懐かしき人びとの逸話を綴ったものなどもあり、単行本にするに当たりましては、副題に「四季の人びと」と添えました。

かれこれ三十年前、数年に及ぶ自宅療養にあった私は、庭の草木を眺めていて、これを描きたいと思い立ちました。その頃は山野草のブームでしたが、外出できない私は、目もくれなかった足元の雑草をモデルにするようになりました。
どの草花でも初めて描く時は、できるだけ正確に描かなくてはその草花に申し訳ないと思い、コップに挿してシゲシゲと見つめながら筆を進めてゆきますと、造りの面白さや生き抜く知恵のすごさ、ゴミ溜めの傍らに咲くノボロギクなどの姿に、美しさや品位さえ感じられて驚いてしまいました。それ以来、彼らは私のなくてはならない友だちになりました。
当地出身で清瀬にお住まいの熊谷元一先生(写真家・童画家)にご指導をお願いし、「感想でよければ」と引き受けていただきました。初めのうちは体力がなくて、一か月に小さな絵一枚がやっと。ひとたび発作が起きますと何か月も描けなくなり、先生の方から武蔵野の野草のスケッチを送ってくださるのでした。
「ほれ、お前さんの特効薬が届いたぞ」と夫は言い、私は、「ああ、また元気になって描かなくちゃ」と思って、お陰で今日まで続けることが出来ました。
少しずつ体が恢復して、ポストカードも百枚を超えた頃、熊谷先生に個展をすすめられ、さらに知人の紹介で、画文集『身近な草花・私の友だち』として出版されました。それがご縁で、彫刻家佐藤忠良先生のアトリエをお訪ねすることができました。今回、佐藤先生には「序」と「帯文」にお葉書のお言葉やスケッチの掲載をお許しいただきました。ほんとうにありがとうございました。
その後、「ミクロスコピア」の連載という幸運がございました。そのいきさつについては、同誌編集長の藤田恒夫先生の「本書刊行に寄せて」に詳しいので、省かせていただきます。
最初に連載のお話があった時には戸惑いましたが、私は常と同じ「普通のオバサン」の立場で描かせていただこうと心に決めました。しかし、自然の花のほどよい時をとらえるのは難しく、わが身の無力を恥じるばかりでした。
また文章の〆切に追われることの辛さや、夫と喧嘩ごしで徹夜をしてやっと間に合った時のえもいわれぬ解放感など、いろんな経験をさせていただきました。
その間、藤田先生にはまことにあたたかいご指導を賜り、厳しくも楽しい歳月のうちに、「私の知らない私」を引き出して下さいました。心から感謝しております。
九十七歳を迎えられた熊谷先生に連載終了のご報告をしますと、「いやあ、長い間よく頑張りましたなあ。ミクロスコピアという立派な雑誌の巻頭を、十一年間も飾らせていただいたんだで光栄なことです。それにしても人のご縁とは尊いものですなあ」と喜んで下さいました。
そして、六十五歳からの十一年間、私の晩年をささやかな紅葉で彩らせていただきました連載が、こうして単行本となる喜びは、はかり知れません。
最後に大変な情熱をもって一冊にまとめ、出版して下さいました風人社社長の大森誠氏に厚く御礼を申し上げます。

2006年 秋
和田静子

取り上げていただいた書評をご紹介しています。

「信州毎日新聞」200711月13日(火) 12頁「くらし」(11月8日に松本で行われた和田さんの講演会の記事)

「信州毎日新聞」200711月13日(火)12頁「くらし」(11月8日に松本で行われた和田さんの講演会の記事)

「信州毎日新聞」 2007年11月9日(金) 25頁 (11月8日に松本で行われた和田さんの講演会の記事)

「信州毎日新聞」2007年11月9日(金)25頁(11月8日に松本で行われた和田さんの講演会の記事)

 

「信州毎日新聞」 2007年9月29日(土) 15頁「くらし」

「信州毎日新聞」2007年9月29日(土)15頁「くらし」

 

「信州日報」2007年2月18日(日)

「新・裏町文庫閑話」48 井原修

和田静子さんの画文集『いとしき草花・四季のひとびと』は、北隆館の『原色牧野植物大図鑑』を見ているより楽しい。この本は『身近な草花・私の友だち』(同時代社刊・第二集)に続いて和田さん三冊目として風人社から出版されたもので、その細密画の草花に添えられている文集が、また面白いのである。
というのは、私は、林俊さん宅で毎日のようにお会いした矢高行路先生(和田静子さんの御尊父)、また後藤光正先生(和田静子さんの義兄)が『いとしき草花』に登場し、やたら懐かしいのだ。
私の店の棚に並んでいる『身近な草花・私の友だち』には児童文学者の椋鳩十が序文を寄せており、
<和田さんの雑草の絵は、驚くほど、正確に描かれている。しかし、植物図鑑の正確ともちがっている。単なる知識としての絵ではない。血が通っている。人間もまた、雑草と同じ自然の子だという、親近感が、絵の中からこぼれてくるのだ>
としたためられている。まさにその通りで、椋先生らしい洞察力に私は深く感動した。
和田静子さんの前の著書二冊は当店に並んでいる。ちなみに二冊で三千二百円である。『いとしき草花』は平安堂、すみれ書房で売られており、二千円である。心いやされる本で、購読をおすすめする。
矢高行路先生は二十代の私を対等に扱ってくださり、若者をひきつけるオーラがあった。そのお人柄は、『山寺先生』の中にも自ら書いておられるが、和田さんの『いとしき草花』にも記述されており、面白いので引用する。
それは「どうだんつつじ」の一節で、
<ある日、診察の終わった玄関にリンゴの押し売りが来て、通りかかった父が応対する羽目になりました。父は待合室の畳に正座し、頭をかき上げながら「今、家にもたくさん有りましてねえ」「いや、お医者さまだもんで、リンゴなんかいくらあってもいいぢゃねえかな」「いや、医者と言っても私どもは目医者で、まあ言うなれば一銭店のようなもので……」と困惑の極み。
私が母に急を告げ、スパスパとやってきた母は、受付の小窓をサッと開けると、「なんだ、留さかな。今日はダメだに、お帰りな」ぽーんとタバコを一つ投げてピシャリと締めました。「いやぁ、奥さんにかかっちゃあ、しょうがねえ」男は煙のごとく消えたのです>
矢高行路先生の懐かしいお姿はほかにも出てくる。

今度は後藤光正先生が登場する「遙かなるブーゲンビリヤの花」について触れよう。
光正先生の著書『ブーゲンビリヤの花』は、私が興文社に勤務していたころ、社の総力を挙げて作った著書である。あとがきに私への謝意がしるされている。海軍の軍医として南方に赴いた和田さんの義兄、光正先生は、ソロモン諸島のラバウルに着任。ブーゲンビル沖夜戦の中、艦は沈没、七日間漂流し、九死に一生を得た記録である。
その、南方に咲くブーゲンビリヤの花を戦後五十年の日、和田さんが義兄のことを思い、描いたものが収録されている。
私は『いとしき草花』を贈られた時、今は亡き、同人誌『橋』の先達のことを思い出し、懐かしさのあまり筆をとった。

「信濃毎日新聞」2007年1月3日「くらし」

「信濃毎日新聞」2007年1月3日「くらし」

「信州日報」2006年12月8日

「いとしき草花と人びと」医学誌に11年間連載
和田静子さんの作品が本に

飯田市鼎下山の作家和田静子さん(76)は五日、医学系生命科学者の同人誌「ミクロスコピア」の巻頭に連載していた水彩画と文で綴る「いとしき草花・四季の人びと」をとめて1冊に出版した。和田さんは「私の晩年をささやかな紅葉で彩らせていただきました連載が、単行本となる喜びは計り知れません」と笑みを浮かべている。
和田さんは1930(昭和5)年生、飯田市出身。旧制飯田高女(現・飯田風越高校)を卒業後、53(28)年に結婚。30年前の73(48)年には、重い心臓病に罹り、数年間に及ぶ療養生活を強いられた。
この時、自宅の窓から見える草花を描きはじめ、親交のあった阿智村出身の写真家で童画家の熊谷元一さんに勧められて個展を開催している。
療養生活の当時、新潟大学医学部で解剖学を教えている藤田恒夫教授(現・名誉教授)の著書『腸は考える』を読んで感想を綴ったのが縁で、藤田教授が編集長を務める同人雑誌「ミクロスコピア」(季刊)の巻頭へ絵と文章を掲載することが決まった。
絵は早春のナズナからジャガイモの芽、ミョウガやアケビの果実、花ショウブ、りんごの花、ブーゲンビリアまで、雑誌刊行の季節に合わせて種類を選び、文章は伊那谷の自然から忘れがたい人や感銘を受けた本の印象を素朴に綴った。
和田さんの長女の結婚式を紹介した「月下美人」のくだりでは、「ソロモンのいかなる栄華も、野に咲く一輪のユリの美しさには及ばない…」という言葉を聞いて感銘したことが紹介されている。
藤田教授は「ただ美しいと感じた花を描きとめたものではなく、人の興味を引き出しそうにない自然のすみずみまで観察し、そこから美と不思議を拾い出してくる。もしかすると、心臓のご病気で天性の感受性が研ぎ澄まされたのではないかと思われた」と語り、「和田さんの作品は、固くなりがちな科学雑誌に和やかな雰囲気を与えてくれて、読者に好評を博した」と評価した。
和田さんは「最初にお話しがあった時には戸惑いましたが、私は常と同じ『普通のおばさん』の立場で描かせていただこうと心に決めました」と話し、「65歳からの11年間、藤田先生には温かいご指導を

賜り、『私の知らない私』を引き出してくださいましたことに感謝しています」と気持ちを表していた。
出版は東京都世田谷区の風人社。定価2000円。問い合わせは電話03-3325-3699。

「南信州新聞」2006年12月2日(土)

「日々の感動を伝える」 飯田市鼎下山和田静子さん『いとしき草花』を出版

「はあるか ごぶさたしておりますけど、あなたさまには おまめでおいでるかなむし」で始まるなんとも懐かしいご挨拶とともに1冊の本が届けられた。
飯田市鼎下山の和田静子(76歳)の画文集『いとしき草花 四季の人びと』(風人社)である。
本書に掲載された42点の画文は、生命学者の同人誌である季刊誌「ミクロスコピア」の巻頭見開き2ページを11年に渡って飾ったもの。医学と生物学の硬い記事中心の同誌にあって好評を得て長期の連載になった。
花の心になって描き上げた四季折々の草花と、伊那谷の自然や忘れがたい人びとや本など和田さんの周囲の日々の感動を綴ったエッセイは、心臓の病気で療養生活を送りながら暮らす和田さんならではの感性に満ちている。その好奇心旺盛な視線は周囲の何気ない日常が実は意外性と多様性の満ちあふれた感動で充ちた世界であることをあらためて知らせてくれる。
「ふつうのおばさんのかくものだもんでねっきら(いっこうに)さえませんのな、おはずかしいったらありゃせん。(中略)ま、ろくなもんじゃありませんけえど、寝しなにでもおごらんとくんなしょ」。いえいえ、和田さんが描き続けた長い時間と真剣な視線に思いを馳せながら正座して読ませていただきましょう。
本書はB5判96ページ、定価2100円、最寄りの書店で扱っている。(嶋)

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