maborocv松本健一著
まぼろしの華

雪に閉ざされた北国びとがみる天上の華 -風花。 海に閉ざされた南島の島びとが海のなかにみる -波花。 これらの言葉が哀しくも美しいのは、 厳しい自然とその土地に生きつづけた人びとの心性(エトス)が、「華」を求めているからであろう。

風花、波花ほか十六編の<華>の随筆集。 これらの花の名に、近代日本の民衆の心性(エトス)を探る解題編を付す。 <人生とか人間の哀感を感受する者のみが知る好著「図書新聞」>

発行:風人社
仕様:四六判 上製本120頁
定価:本体1,800円+税
1994年6月20日発行
装幀:高麗隆彦

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松本健一(まつもと・けんいち)
<略歴>
作家・評論家 1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒。近代日本の民衆の心性(エトス)に着目した視点で、思想史を捉え直す。その刺激的な著作群は、<現地を歩く>実証精神に裏付けられている。数多くの紀行文 もある。

本書の目次

まぼろしの華

風花

「風花」

 冬もおわりちかく、春がこれからというころ、北国に瞬時の華が舞いおりる。まだまだ肌に冷たく強い風が、山の頂(いただき)に積もっている雪を山里に吹きおろすのだが、それが明るさを増しはじめた陽光にあたって、空一面にきらきらと光り燿くのである。
その舞いおりる雪片ではなく、空全体がきらきらと燿き華(はな)と化したさまを、風花とよぶのである。かざはな、とわたしはいうが、かぜはな、とよぶ地方もあるらしい。ともかく、それは、厳しく暗く永い冬に閉じこめられてきた北国びとを、優しく明るい春のほうへ解き放つ、まぼろしの華なのであった。
おそらく、ひとつの天然現象にも華を想わねばならぬほど、わが北国の冬は厳しく暗かったのである。そこでの生活が辛ければ辛いほど、ひとは空を見上げて嘆息をくりかえし、それに耐えたのにちがいあるまい。そんなある日、かれらは空一面がきらきらと光燿くのを目にする。そうだ、春がちかいのだ。寒さに閉じこめられた生活ももう終わりだ、とかれらは元気づく。
雪は北国にあって、生活を辛くする象徴である。にもかかわらず、それが一変して、ひとに希望を与えたのである。とすれば、北国びとがこの天然現象を華にたとえねばならなかった心の動きは、哀しくさえある。
もっとも、こういう哀しさは、少年のころのわたしたちには無縁なものであった。学校帰りの昼下がりに、碧(あお)くはれた空から風花が舞ってくると、わたしたちはそれを掌にうけとめようと、狂奔するのであった。けれど、その小さな花びらは掌におちると同時に、スッと消えうせてしまい、その形を定かにしない。そこにこそ、幻の、幻たる所以(ゆえん)があったのかもしれない。
わたしはかねてより沖縄出身の友人に、風花とは北国における天上の華である、との説を吹聴していた。しかし、南の島に生まれ育ったかれには、雪さえ珍しく、ましてや風花のことなどはきいたことさえなかったのだろう。いつも半信半疑の顔をしていた。
いつだったか、かれが東北の遠野(とおの)に旅をしたことがあった。柳田国男の『遠野物語』にでてくる、あの遠野である。かれは宿の二階から何気なく外をながめていたらしい。  と、強い風にふかれて何やら白く光るものが、無数につぎからつぎと宙を舞った。そうか、これが風花なのか、と気づいたかれは、いま風花をみている、いま風花をみている、と心急(せ)いた便りを書き送ってくれたことだった。

卯の花
湯の花
わらびの花
潮花
餅花
優曇華
いもの花
花瀬
烏賊の花
筆の花
波の花
水中花
花火
樹の花
波花

『まぼろしの華』について

旅を重ねながら
美しいものの記憶
どの地でも華を見出したい
名づけることの普遍的心情と風土的な共同幻想
死語化とそれを超えることば
おわりに